「ニカズ・ドリーム」だけじゃない!ジャズメンがニカに捧げた曲

ニカの本名はパノニカ・ドゥ・コーニグズウォーター (Pannonica de Koenigswarter) 。

名門ロスチャイルド家の出身で貴族でありながら、ビバップの時代のジャズメンたちを献身的に支えた、ジャズのパトロネスです。

うつ病で行方不明になったバド・パウエル(Bud Powell) を探し回ったり、麻薬中毒でボロボロになり仕事もできなくなったチャーリー・パーカー(Charlie Parker )を引き取って最後を看取ったり。

躁うつ病でピアニストを引退せざるおえなくなったセロニアス・モンク(Thelonious Monk)の晩年9年間、ニカは自宅に住まわせ、家族ごと面倒を見ました。

それだけでなく、ときにはプロデューサーのようなこともしてジャズメンたちに仕事を取ってきたり、ツアーを手配したりもしました。

人種差別が公然と行われていた時代に、アフリカ系のジャズメンは警察に不当な暴力を振るわれることもあったので、ドラッグがらみで逮捕されそうになったジャズメンをかばって自分が牢に入ったこともあります。

経済的にだけでなく、母親のような愛情と親友のような友情に支えられたニカの援助は、人種を超え、たくさんのジャズメンに感謝され、愛されました。

その証としてニカに捧げられた曲は、数多くあります。

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ニカの経歴(バイオグラフィー)はこちらに書きました。

ジャズメンに愛された、ビバップの擁護者&パトロネス、ニカの生涯
ビバップ・パロネスとも呼ばれたパノニカ・ドゥ・コーニグズウォーター。男爵夫人という立場で、人種差別が激しかったビバップ時代に、数々のジャズメンを庇護するだけでなく、彼らの心の友として支え続けました。彼女の愛称「Nica」がついたジャズ曲が多い理由を書きました。

ジャズメンからニカに捧げられた曲

ニカに作られ、捧げられた 曲は、驚くほどたくさんあります。

ニカズ・ドリーム(Nica’s Dream)

「ニカズ・ドリーム(Nica’s Dream)」は今では超有名なジャズナンバーで、多くの人に演奏されています。

ホレス・シルヴァー(Horace Silver)がニカに敬意を表して作った曲。

「Nica’s Dream」は「ニカの夢」という邦題がついているようですがあまり浸透していなくて「ニカズ・ドリーム」と呼ばれることが多いです。

(↓Spotifyに登録すれば(無料でも可)フル再生できます)

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ホレス・シルヴァー(Horace Silver)が初期に所属していたこともあるジャズ・メッセンジャーズ( The Jazz Messengers)では、少しテンポを落として演奏されています。

「ニカズ・ドリーム(Nica’s Dream)」には歌詞もあって、ボーカルが歌うパターンも多いです。

ディー・ディー・ブリッジウォーター (Dee Dee Bridgewater)はホレス・シルヴァー(Horace Silver)に近い感じで歌っています。

これは、ヴォーカルものですが、ゆったりとしたテンポで、しかもボサノヴァになっているので越の曲?と感じるくらい、感じが違います。


ニカズ・ドリーム(Nica’s Dream)は本当に、多くの人に演奏されている印象があります。

パノニカ(Pannonica)

ニカに晩年の9年間をお世話してもらったセロニアス・モンク(Thelonious Monk)だって、曲を捧げています。

1957年にモンクがリリースした名盤「ブリリアント・コーナーズ(Brilliant Corners)」に収録された曲ですが、ニカはこのアルバムのためのリハーサルの費用を出し、レコーディングメンバーの召集もおこなったのだとか。

同じ曲をチック・コリアが演奏すると、モンクの無邪気さから、洗練された感じに曲が変身。

ニカ(Nica)

ソニー・クラーク(Sonny Clark)が捧げた曲は、そのままずばりの「ニカ(Nica)」。

ヘロインの過剰摂取で31歳という若さで亡くなったソニー・クラーク(Sonny Clark)なので、経済的に困窮していたり、生活が破綻していたりで、きっとニカにとてもお世話になったのだと思います。

しかもこのソニー・クラーク(Sonny Clark)、日本での人気は高いのに、本国アメリカではそれほどでもないらしいです。

なぜだろう、不遇な人。。。。

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ニカズ・テンポ(Nica’s Tempo)

サックス、フルート、クラリネットなどを演奏し、作曲、編曲もおこない、ビッグバンドもひきいていたジジ・グライス(Gigi Gryce)もニカに「ニカズ・テンポ(Nica’s Tempo)」という曲を捧げています。

クラシック音楽を学び、フルブライトでパリに留学したこともある音楽界のエリート。

なのに早くに演奏活動から引退したので、ジャズを演奏していた期間は1953年から1965年ごろの、ごく短い間。

それにも関わらず、作曲した曲が今でも演奏されているという稀有な人。

引退後は公立小学校で教鞭をとりました。

引退した理由は憶測の域を出ませんが、ジャズメンの著作権を守るために設立した出版会社の倒産や、それに伴う経済的困窮や心労によるものではないかと言われています。

なおジジ・グライスも、当時のジャズメンで多かったイスラム教に改宗したジャズメンの1人。

「ニカズ・テンポ(Nica’s Tempo)」はアート・ブレイキー(Art Blakey)も演奏しています。

ブルース・フォー・ニカ(Blues for Nica)

ケニー・ドリュー(Kenny Drew)がニカに捧げた「ブルース・フォー・ニカ(Blues for Nica)」は、ピアノのケニー・ドリュー、ベースのポール・チェンバース(Paul Chambers) 、ドラムのフィリー・ジョー・ジョーンズ(Philly Joe Jones)というメンバーで1956年にレコーディングされましたが、翌年1957年にこの3人がそのままジョン・コルトレーン(John Coltrane)の名盤「ブルー・トレイン(Blue Train)のレコーディング・メンバーとなりました。

ニカ・ステップス・アウト(Nica Steps Out)

フレディ・レッド(Freddie Redd)は「ニカ・ステップス・アウト(Nica Steps Out)」という曲をニカに捧げました。

フレディ・レッドも、ヨーロッパに渡ったジャズメンの1人。

帰国後は主に西海岸で演奏していました。

セロニカ(Thelonica)

曲名の「セロニカ(Thelonica)」はセロニアス・モンク(Thelonious Monk)とニカをくっつけて、トミー・フラナガン( )が作った造語なのだとか。

なるほど聴いてみると、ところどころアクセント的に、モンクのような不協和音や、ぎこちなくも聴こえるモンク独特のタッチなどが用いられています。

こんなに多くの曲を捧げられた人が、かつていたでしょうか。
ニカがどれだけ、心からジャズを愛し、ジャズメンたちを支援してきたかということだと思います。
「ビバップ・バロネス(The Bebop Baroness)」または「ジャズ・バロネス(The Jazz Baroness)」とも呼ばれ、ジャズを庇護し、ジャズメンたちのパトロネスだったニカなので、麻薬中毒であろうがなかろうが、ジャズメンたちはみんなニカに感謝していたのだと思います。
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ニカの経歴(バイオグラフィー)はこちら。
https://jazz.fifkoblog.com/pannonica/
ニカが撮ったジャズメンたちの写真集「三つの願い(Three Wishes)」についてはこちら。
https://jazz.fifkoblog.com/three-wishes/