透明感のあるオクターブ奏法の生みの親 ウェス・モンゴメリーの生涯

ジャズギタリストのウェス・モンゴメリー(Wes Montgomery 1923年~ 1968年)。

彼のギターは、現在でもギタリストたちに影響を与え続けています。

ウェス・モンゴメリーの名前と同時に必ず語られるのは、彼があみ出したオクターブ奏法。

そして彼は若くして亡くなったチャーリー・クリスチャン(Charlie Christian)の後を引き継いで、それまでフロントの伴奏楽器でしかなかったジャズギターを、ソロ楽器として確立させた功労者です。

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ウェス・モンゴメリー作曲の「フォー・オン・シックス(Four On Six)」

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ウェス・モンゴメリーの経歴

インディアナ州インディアナポリス出身。

ウェス・モンゴメリーがギターを始めたのは意外と遅く、19歳のとき。

捨てられていたギターを拾った彼は、耳で聴いたチャーリー・クリスチャン(Charlie Christian)の演奏を模倣することで、ギターの弾き方を独学で習得します。

そしてウェス・モンゴメリーはギターを始めるのは遅かったものの、すぐにその才能を開花させます。

ベーシスト、ピアニストの兄弟たちと「ザ・モンゴメリー・ブラザース(The Montgomery Brothers)」としてレコーディングもしました。

 

モンゴメリー兄弟でリリースしたアルバムでは、ウェス・モンゴメリーのギターはまだまだ控えめ。

1948年~1950年まではライオネル・ハンプトン(Lionel Hampton)のバンドに所属しましたが、退団し故郷のインディアナポリスに戻ります。

退団理由は、一説によるとバンドでのツアー旅行に明け暮れる毎日になじめず、ホームシックになり、家族が恋しくなったためと言われています。

そして、故郷に戻ったウェス・モンゴメリーは、奥さんと7人の子供たちを養うために朝の7時~15時まで工場で働き、夜9時~深夜2時ごろまでジャズ・クラブで演奏していました。

チャーリー・クリスチャンの後継者

ウェス・モンゴメリーは、チャーリー・クリスチャン(Charlie Christian)の影響を強く受けていると公言しています。

チャーリー・クリスチャンはそれまで、バンドの中ではコードを弾いて伴奏するのみだったギターで、アドリブやメロディを弾いて、ソロ楽器に昇格させました。

ウェス・モンゴメリーは、チャーリー・クリスチャンがソロ楽器として昇格させたジャズギターをさらに進化させました。

ウェス・モンゴメリーのオクターブ奏法

ウェス・モンゴメリーの演奏スタイルとして、最初単音でソロをはじめ、やがてオクターブ奏法、コード(和音)でメロディを奏でるようなブロックコードと続きます。

ずっと曲を聴いていると、このオクターブ奏法が登場したとたん、メロディに透明感が増したように感じます。

オクターブ奏法とは、その名のとおり1オクターブ(例えば、低いドの音と高いドの音など)の音を同時に鳴らす奏法。

小石を投げた水面に輪っかが広がっていくような、音の揺らぎが感じられて空気がいっきに変わります。

ウェス・モンゴメリーの親指だけのピッキング

ウェス・モンゴメリーはメロディを弾くときも、コードをかき鳴らすときも、親指でギターの弦をはじきました。ピックは使用しません。

指で弦をはじくため、ギターの音はソフトで優しい、あたたかみのある音になります。

ウェス・モンゴメリーと仲が良かった、同じくギタリストのジョージ・ベンソン(George Benson)によるとウェス・モンゴメリーの親指にはタコがあったそうです。

そのタコの堅い部分や、指の柔らかい部分など、弦をはじく場所を微妙に変えて、ギターの音色を変化させていたのだとか。

ウェス・モンゴメリーが親指でギターを弾くようになったのは、必然的な理由でした。

昼間は工場で働いていて、家族が寝ている夜しか練習できなかったので、こっそりと音を小さくする必要があったために、親指で弾いていました。

また親指で弾くために、ギターの演奏に彼独特の間のようなものができ、彼特有のスイング感になりました。

動画を見ていると、ウェス・モンゴメリーは大きな手の、人差し指から小指をギターのボディに付けて、親指を外側に90度ほどまげて、まるで第一関節あたりで弦をはじいているように見えます。

そこまで親指って曲がる?!と一瞬びっくりしますが、ジョージ・ベンソンによるとウェス・モンゴメリーの親指の関節はとても柔らかく、外側に曲げて手首につけることもできたそうです。

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そしてウェス・モンゴメリー、見いだされる!

地元のジャズ・クラブで演奏したり、時たま兄弟たちとレコーディングする日々を送っていたウェス・モンゴメリー。

ついにキャノンボール・アダレイ(Cannonball Adderley)に見いだされ、ジャズの表舞台に登場します。

1959年以降の彼は、数々のレコーディングも行い、1967年に「ゴーイング・アウト・オブ・マイ・ヘッド(Goin’ Out of My Head)」でインストルメンタルジャズ部門でグラミー賞を受賞します。

そして1968年、ウェス・モンゴメリーは全米ツアーから帰宅した直後に、故郷で心臓発作で亡くなりました。

43歳でした。

ウェス・モンゴメリーに影響を受けたギタリストは、ジョージ・ベンソン、パット・マルティーノ、ラリー・コリエル、ジョン・スコフィールド、パット・メセニー、リー・リトナー、ラッセル・マローンなどなど。数え切れません。

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ウェス・モンゴメリーのギター奏法、ソロやコードへのアプローチなどは、現在もギタリストたちに影響を与え続けています。