ベッシー・スミス(Bessie Smith 1894年~1937年)は人種差別が堂々とまかり通っていた時代に「ブルースの女帝」と呼ばれ、アフリカ系アメリカ人としては異例なくらいに成功したブルース歌手です。
そして、のちのシンガーに大きな影響を与えた人。
ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)、ダイナ・ワシントン(Dinah Washington)など、ベッシー・スミスに憧れ、尊敬していたシンガーは多いです。
今でも、いろんな人が歌っているブルースのスタンダードナンバー「ノバディ・ノウズ・ユー・ホェン・ユー・ダウン(Nobody Knows You When You Down)」は、彼女の持ち歌でした。
ビリー・ホリディ(Billie Holiday)の自伝には、歌手になる前にベッシー・スミスのレコードを聴いていたと書かれていますし、ダイナ・ワシントン(Dinah Washington)にいたっては「ダイナ・ワシントン・シングス・ベッシー・スミス(Dinah Washington Sings Bessie Smith)」というベッシー・スミスのトリビュートアルバムをレコーディングしています。
ダイナ・ワシントン(Dinah Washington)がベッシー・スミスの十八番を歌ったトリビュートアルバムから「電気椅子送りにしてよ(Send Me to the ‘Lectric Chair」
ほかにも、ノラ・ジョーンズ(Norah Jones)、ロック歌手のジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)なども影響を受けたようです。
ちなみに、こちらは本家本元ベッシー・スミスによる「電気椅子送りにしてよ(Send Me to the ‘Lectric Chair」
ベッシー・スミスの生涯
ベッシー・スミスの生い立ち
テネシー州出身。
十代のときにボードビルのダンサーとなりますが、やがてその歌唱力が認められるようになり、1923年にレコーディング、シンガーとなります。
身長180センチ超え、体重は90キロ近くという体格で、建物を揺るがすような声量の持ち主だったと言われています。
1937年ベッシー・スミスは43歳のとき、自動車事故で亡くなります。
このときのエピソードとして、事故の後、運ばれた病院が白人専用だったため治療を拒まれ、アフリカ系アメリカ人専用の病院に担ぎ込まれたときには手遅れになっていたという説があります。
ただこのエピソードは、噂をもとにある記者が書いた記事が発端で広まったデマで、実際はアフリカ系アメリカ人専用の病院で白人医師の治療を受けたがそこで亡くなった、というのが本当のところのようです。
ベッシー・スミスの名唱&名曲
ベッシー・スミスと言えば、なんといってもこの「セント・ルイス・ブルース(St.Louis Blues)」
この曲ではルイ・アームストロング(Louis Armstrong)が、コルネットを吹いているのだとか。
ゴッドマザーって感じの、太っ腹な感じの声です。
ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)や、映画「奇妙な果実~ビリー・ホリディ物語~」でビリー・ホリディ(Billie Holiday)を演じたダイアナ・ロス(Diana Ross)も歌っていた「エイント・ノーバディズ・ビジネス・イフ・アイ・ドゥ(Taint Nobody’s Bizness If I Do)」は「Ain’t Nobody’s Business If I Do」と表記されることも多いです。
ビリー・ホリデイについてはこちら。
映画「ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実(Lady Sings the Blues)」についてはこちら。
この曲「ベイビー、家に帰ってくれないか?(Baby Won’t You Please Come Home)」も、ちょくちょくカヴァーされています。
今でもさまざまなシンガーが歌っている「アフター・ユーヴ・ゴーン(After You’ve Gone)」。このころから歌われてました。
ベッシー・スミスは生粋のブルース・シンガー。
でもジャズシンガーにも、リスペクトする人が多いです。
ジャズ・シンガーではないのですが、ジャズへの影響が大きすぎるので取り上げました。
ベッシー・スミスが歌っていた曲の中には、今でもジャズメンに取り上げられる曲も少なくありません。
ベッシー・スミスの歌を聴いていると、ジャズはブルースから派生していったのだなあ、と改めて感じます。
有無を言わさない、力強い、迷いのない歌声。
彼女ほど歌に「強さ」や「信念」を感じる歌手は、他にないように思います。