グラミー賞を受賞したテレンス・ブランチャード(Terence Blanchard)のバンドに5年間在籍していたアーロン・パークス(Aaron Parks 1983年~)
才能あふれる演奏もさることながら、その華々しい経歴にも驚かされます。
アーロン・パークスはケニー・バロン(Kenny Barron)にその才能を認められ、若干16歳にしてデビューしたという早熟のピアニストです。
アーロン・パークスが参加しているテレンス・ブランチャード(Terence Blanchard)のグラミー賞を受賞したアルバム「ア・テール・オブ・ゴッズ・ウィル(A Tale of God’s Will)」から、アーロン・パークスのピアノが印象的なこの曲。
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彼は経歴もすごいのですが、彼のジャズもまた、他とは一線を画するもの。
最新のジャズを聴きたければ、彼を聴くべきです。
「天才ピアニスト」の名を欲しいままに
彼が天才と言われる理由。
18歳という若さで、テレンス・ブランチャード(Terence Blanchard)のバンドに参加し5年間在籍。
その後も現在まで、ジャズファンをうならせる素晴らしい活躍。
youtubeで彼のライブ映像を見ると、ジャズにはうるさいはずのニューヨーカーたちが、身を乗り出して彼の演奏に聴きいり、演奏が終われば盛大な拍手、と熱烈歓迎ぶりがうかがえます。
客席を見た感じでは、老若男女に人気があるようです。
ケニー・バロン(Kenny Barron)に見いだされ、若干16歳で「ザ・プロミス(The Promise)」をレコーディングしたということもそうですが、それ以上に彼の経歴がすごい。
アーロン・パークスの経歴
アーロン・パークスの生い立ち
1983年ワシントン州シアトル生まれ。
アイランド群にある、自然が豊かな島で育った彼は、10歳のころより家にあったピアノを弾き始めます。
最初のピアノ教師が、譜面を目で追って弾くのではなく、即興での演奏をすすめたたことがきっかけで、ジャズに興味を持つようになります。
13歳でワシントン大学に早期入学し、コンピューター科学と音楽を専攻。
14歳で参加したジャズのワークショップでその才能を認められ、16歳でマンハッタン音楽院に編入。
18歳でテレンス・ブランチャード(Terence Blanchard)のバンドに参加します。
普通なら18歳と言えば、学校に入ってジャズの勉強を始めるくらいの年齢。
ところがアーロン・パークスの場合、18歳までに、ざっとこれだけのことをこなしています。
まさに天才。
アーロン・パークスのジャズの軌跡
ドイツのレーベル、ECMレーベルのアルバム「アーバレセンス(Arborescence)」
発表されたのは2013年で、録音は2011年。
アーロン・パークスのソロ・ピアノです。
そのアルバムから、上質なクラシック音楽のような、美しいジャズを1曲。
ブルーノートからの第一作目「インヴィジブル・シネマ(Invisible Cinema)」はアーロン・パークスが24歳の時のアルバムで、全曲、彼のオリジナル。
そこから、1曲。
2017年ECMレーベルから発表されたアルバム「ファインド・ザ・ウェイ(Find the Way)」
最後に収録されている「ファインド・ザ・ウェイ(Find The Way)」という曲はローズマリー・クルーニー( Rosemary Clooney)とネルソン・リドル(Nelson Riddle)のカヴァー。
こちらがオリジナル。
ローズマリー・クルーニー( Rosemary Clooney)の「ファインド・ザ・ウェイ(Find The Way)」
ちなみにローズマリー・クルーニー( Rosemary Clooney)は、ハリウッド俳優ジョージ・クルーニーの叔母さん。
リラックスした雰囲気の中に、何か新鮮さ、斬新さも感じるし、真剣に聴いてしまう音楽です。
アーロン・パークスという人、ユーモアのセンスもなかなかのようで、彼の公式ホームページでは、自己紹介(Bio)の項目を、なんだか意味深でおしゃれな詩で始めたかと思えば、「でも自分自身についてどう言えばいいのかわからないので、Matt Collar が書いたBioをコピペして貼っておきますね。」
こういうセンス、好きです。
日本にも何度か来日公演していて、日本のライブを収録したアルバムもあります。
ぜひ、一度生で聴いてみたいジャズメンの一人です。