JAZZ界のジェームズ・ディーン チェット・ベイカーの生涯

歌もトランペットもこなす、チェット・ベイカー(Chet Baker 1929年~1988年)

甘い声で、ささやくような歌声。

歌の後には、優しくソフトなトランペット。

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若い時には甘いルックスで、まるでアイドルなみの人気だったそうです。

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けれども重度のジャンキーだったチェット・ベイカーは、ゆっくりと破滅への道を進みます。

演奏活動もできなくなり、ガソリンスタンドで働いていたこともあります。

その後、奇跡の復活。

チェット・ベイカーはアメリカのみならずヨーロッパでも活躍し、来日コンサートも実現させました。

マイルスに批判された?

マイルス・デイヴィス(Miles Davis)の自叙伝の中に、何度かチェット・ベイカーを批判するような文書が出てきます。

でもそれはよく読めばわかるのですが、チェット・ベイカー個人へ向けられた批判というよりも、白人のほうが優先的に仕事の依頼がきて、ギャラも高く、自分たちアフリカ系アメリカ人の音楽をどんどん取り入れて、自分たちよりレコーディングの数も多いことへの腹立ちをぶつけている感じです。

マイルス・デイヴィスも一時ジャンキーでしたし、この時代のジャズメンにはジャンキーが多かったのですが、当時のマスコミが、さもアフリカ系ジャズメンにジャンキーが多いように書いて、白人ジャズメンにはジャンキーがいないかのように扱っていたので、その件でもマイルス・デイヴィスは

「チェット・ベイカーやスタン・ゲッツ(Stan Getz)もジャンキーなのに、黒人ばかりがマスコミに取り上げられる」

ということに不満を持っていましたが、チェット・ベイカー個人に不満をもっていたわけではなかったようです。

チェット・ベイカーもヨーロッパへ

ドラッグ中毒で、ヘロインとコカインにどっぷりとつかっていたチェット・ベイカー。

1959年アメリカで逮捕されます。

短期間ですが、治療施設に入所します。

やがてアメリカに居づらくなった彼はヨーロッパへと活動の場を移しますが、イタリアでもドラッグがらみで逮捕され、拘留もされます。

チェット・ベイカーは演奏旅行でヨーロッパ各国をまわるも、イタリア、フランス、イギリスと次々と麻薬がらみで国外追放となり、1964年にアメリカに帰国します。

トランベッターの命、前歯を折られる

1966年、ドラッグにからむトラブルによる喧嘩で、顔を殴られたチェット・ベイカーは、トランペット奏者にとって、演奏するうえでとても大切な前歯を折られます。

そのために演奏することができなくなりました。

 

トランペットは前歯や唇のかたちなどが、その音にとても影響します。

トランペットを吹くために、歯を矯正したり、歯を削ったりする人もいるくらい。

前歯がないと、音を出すことができません。

トランペットが吹けなくなり、チェット・ベイカーは表舞台から姿を消します。

チェット・ベイカーは生活保護を受けたり、ガソリンスタンドで働いたりしました。

そんな状況を見かねて救いの手を差し伸べたのは、友人でもあり、自身も第一線で活躍するトランベッター、デイジー・ガレスビー(Dizzy Gillespie)

入れ歯を手に入れることができたチェット・ベイカーは、デイジー・ガレスビーの尽力もありジャズシーンに帰ってきます。

その後はまたヨーロッパに住むようになり、ヨーロッパ各国で数多くの録音を残します。

生涯を通してドラッグをやめることができなかったチェット・ベイカーは、クスリ代欲しさに次々と録音したとも言われています。

 

復帰後のチェット・ベイカーもいい感じで枯れてて、好きです。

軽く、ソフトな枯れ。

ホテルの窓から転落した最後

1988年、チェット・ベイカーはアムステルダムのホテルの窓から転落し、亡くなりました。

58歳でした。

事故なのか、自ら落ちたのかはいまだに不明だそうです。

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ボサノバはチェットベイカーから生まれた?

チェット・ベイカーのささやくような歌声を聴いて、ボサノバのジョアン・ジルベルト(Joao Gilberto)が、今のボサノバの歌唱方法をはじめたと言われています。

 

ジョアン・ジルベルトはスタン・ゲッツ(Stan Getz)とレコーディングしています。

ジェームズ・ディーンに例えられるチェット・ベイカー

チェット・ベイカーは、若くして自動車事故で亡くなったハリウッド俳優のジェームズ・ディーンに、よく例えられます。

村上春樹さんも「ポートレイト・イン・ジャズ」の中でチェット・ベイカーの音楽は、青春の匂いがする、チェット・ベイカーとジェームズ・ディーンが、その存在のカリスマ性や破滅性などが似ていると書いておられます。

二人は外見においても、ちょっとすねたような表情など、なんとなく雰囲気が似ている感じがします。

ただ村上春樹さんも指摘しているとおり、ジェームズ・ディーンは24歳の若さで生涯を終え、チェット・ベイカーは58歳まで生きました。

58歳ですが、生涯をドラッグ中毒者として過ごした晩年のチェット・ベイカーは実際の年齢よりも、ずっと老けてみえます。

 

1987年~1988年にチェット・ベイカーの自伝的ドキュメンタリー映画「レッツ・ゲット・ロスト(Let’ get lost)」が撮影され、チェット・ベイカーの死後に封切られました。

 

2015年にはチェット・ベイカーをモデルにした「ブルーに生まれついて(Born to Be Blue)」という映画も作られました。

 

チェット・ベイカーの映画「レッツ・ゲット・ロスト(Let’s Get Lost)」と「ブルーに生まれついて(Born to Be Blue)」については、こちらに書きました。

ジャズ界のジェームス・ディーン チェット・ベイカーの映画2本!
チェット・ベイカーの映画を2本紹介します。イーサンホークがチェット・ベイカーを演じた「ブルーに生まれついて(Born to Blue)」は、苦悩するジャズトランペッターとそれを支える女性との美しいラブストーリー。「レッツ・ゲット・ロスト(Let's Get Lost)」はドキュメンタリー映画です。

 

現代においても「ウィスパー・ヴォイス(whisper voice)」というささやき声で歌うシンガーは少なくないですが、その先駆けがチェット・ベイカーといえそうです。

でも、チェット・ベイカーの声は、他のウィスパー・ヴォイスと何かが違う。

ただ甘いだけじゃなくて、枯れていて、せつなくて。

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現在言われるところの「ウィスパー・ヴォイス(whisper voice)」は癒し系と言われますが、チェット・ベイカーのささやくように歌う歌は、癒し系というより、悲しみに寄り添って慰めてくれるような感じがします。