活動期間10年でレジェンドへ ジョン・コルトレーンの生涯(中巻)

テナーサックスのジョン・コルトレーン(John Coltrane 1926年~1967年)の生涯(中巻)です。

上巻では、ジョン・コルトレーンの生い立ち、軍隊に入って除隊した後ビバップの巨匠たちと交流するまでを書きました。

中巻では、麻薬に手を出しちゃってたコルトレーンが、セロニアス・モンクに助けられて、クスリを断ち復活。

いよいよジャズの表舞台に出てくるまでです。

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前編はこちら。

活動期間10年でレジェンドへ ジョン・コルトレーンの生涯(上巻)
テナーサックス奏者のジョン・コルトレーン(John Coltrane 1926年~1967年)がジャズの表舞台で活躍したは10年ほど。その短期間にジャズを追求し続け、スタイルは常に変化しました。そんな彼の生涯(上巻)生い立ち~軍隊に入る~ビバップの巨匠たちとの交流までです。

ジョン・コルトレーンの生涯(中巻)

1955年マイルス・デイヴィスのバンドに参加

1955年、フィラデルフィアにいたジョン・コルトレーンに、マイルス・デイヴィス(Miles Davis)からバンドに参加するよう電話がかかってきました。

そしてジョン・コルトレーンは、マイルスの有名なマラソンセッションと呼ばれる4枚のアルバム、「クッキン(Cookin’)」「リラクシン(Relaxin’)」「ウォーキン(Workin’)」「スティーミン(Steamin’)」に参加します。

(※マイルスのマラソンセッションとは、コロンビアレコードに移籍したいものの、プレステッジとの契約であと何枚がアルバムを作らないといけなかったマイルスが、たった2日間で4枚分の曲を、ほとんどワンテイクで録音して作ったアルバム。

2日間でワンテイクどりという緊張感あふれる演奏が、人気の4枚です。)

当時すでに人気のあったマイルス・ディヴィスのバンドに参加したことで、30歳を目の前にジョン・コルトレーンの知名度も上がりますが、このときのコルトレーンの演奏はあまり評判となりませんでした。

なぜなら当時のコルトレーンは、薬物中毒にくわえて深酒の悪癖もありました。

薬物中毒者ゆえに、仕事に遅刻したり欠席したりしてしまうジョン・コルトレーンは、マイルスのバンドをクビになります。

(ヘロインを断った後だったマイルスが薬を絶ち続けるために、ジャンキーのコルトレーンをクビにしたという説もあります)

コルトレーン、麻薬を絶ちジャズの表舞台へ

1957年、ジョン・コルトレーンはマイルスのバンドをクビになり、セロニアス・モンク(Thelonious Monk)のバンドに参加。

モンク(Thelonious Monk)から音楽理論などを学びます。

1957年7月にジョン・コルトレーンは、このセロニアス・モンク(Thelonious Monk)のバンドで、本人いわく

「神の啓示を得た」

とのことで、以前はぎこちなかったコルトレーンの演奏が、これ以降は自信にあふれたものとなります。

(↓Spotifyに登録すれば(無料でも可)フル再生できます)

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Spotify is a digital music service that gives you access to millions of songs.

神の啓示を得た2か月後の9月に録音したアルバムが「ブルー・トレイン(Blue Train)」

表題曲の「ブルー・トレイン(Blue Train)」は超有名。

ジョン・コルトレーンがセロニアス・モンク(Thelonious Monk)のバンドに参加するいきさつというのが、ちょっといいお話です。

マイルス・デイヴィスのバンドにいたときのジョン・コルトレーンは、麻薬中毒だったので遅刻、欠席が度重なり、短気なマイルス・デイヴィスに楽屋で叱責され殴られていたのを、たまたま居合わせたセロニアス・モンク(Thelonious Monk)が同情して、ジョン・コルトレーンを引き取ったというもの。

ジョン・コルトレーンはセロニアス・モンク(Thelonious Monk)に恩義を感じて、麻薬を断ってからモンクのバンドに参加したそうです。

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1958年 マイルス・デイヴィスバンドに復帰

1958年にはマイルス・デイヴィスのバンドに復帰。

マイルスからはソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)と並ぶ、2大テナーサックス奏者と評価されます。

このころからジョン・コルトレーンの、16分音符のような細かい音を多用して高速で音を吹きまくる、音を敷き詰めたような演奏スタイルが「シーツ・オブ・サウンド」と呼ばれるようになります。

またジョン・コルトレーンは常に大きな音で、早いフレーズを吹くことから、演奏が怒っているように聴こえるということで、「怒れる若きテナーマン(Angry Young Tenor Man)」と揶揄されることもありました。

後半ソロに入ったところで「シーツ・オブ・サウンド」が、聴けます。

今でもマイルス・デイヴィスの名盤の1つと名高い「カインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)」にジョン・コルトレーンも参加。

(下巻)に続きます。

活動期間10年でレジェンドへ ジョン・コルトレーンの生涯(下巻)
テナーサックス奏者ジョン・コルトレーン(John Coltrane 1926年~1967年)の生涯(下巻)です。名演「My Favorite Things」誕生~フリージャズ~晩年まで。

無名だったころには、R&Bのバンドで、店のカウンターの上をサックスを吹きながら歩くという仕事もこなしていたというジョン・コルトレーン。

(映画「ブルース・ブラザース(Blues Brothers)」でアレサ・フランクリンが歌っているバックでサックス奏者が、やはりカウンターの上を歩いていました。当時の流行りのスタイルらしいです。)

結構、苦労人です。

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ジョン・コルトレーンの名盤についてはこちらに書きました。

(初級&中級編)

シーツ・オブ・サウンド ジョン・コルトレーンの名盤(初級&中級)
ジョン・コルトレーン(John Coltrane, 1926年~1967年)のおすすめアルバム初級&中級編です。初期から中期までの、フリージャズを演奏する前の、コルトレーンのジャズを堪能できます。

(上級編)

シーツ・オブ・サウンド ジョン・コルトレーンの名盤(上級編)
ジョン・コルトレーン(John Coltrane, 1926~1967)のおすすめアルバム上級編です。主に後期のフリージャズものや、コルトレーンのスピリットにふれられるものなど。

ジョン・コルトレーンがサイドマンで参加したアルバムについてはこちら。

ジョン・コルトレーンがサイドマンで参加したジャズ名盤アルバム
ジョン・コルトレーン(John Coltrane 1926年~1967年)がサイドマンとして参加した、他人名のアルバムのご紹介です。マイルス・デイヴィスの名盤や、デューク・エリントン、ジョニー・ハートマン、ケニー・バレルやセロニアス・モンクとなど。

ジョン・コルトレーンの生涯はこちら。

(上巻)生い立ち~軍隊に入る~ビバップの巨匠たちとの交流まで

活動期間10年でレジェンドへ ジョン・コルトレーンの生涯(上巻)
テナーサックス奏者のジョン・コルトレーン(John Coltrane 1926年~1967年)がジャズの表舞台で活躍したは10年ほど。その短期間にジャズを追求し続け、スタイルは常に変化しました。そんな彼の生涯(上巻)生い立ち~軍隊に入る~ビバップの巨匠たちとの交流までです。

(下巻)名演「My Favorite Things」~フリージャズ~晩年まで

活動期間10年でレジェンドへ ジョン・コルトレーンの生涯(下巻)
テナーサックス奏者ジョン・コルトレーン(John Coltrane 1926年~1967年)の生涯(下巻)です。名演「My Favorite Things」誕生~フリージャズ~晩年まで。

ジョン・コルトレーンの名言はこちら。

下積み時代が長かった苦労人ジャズメン ジョン・コルトレーンの名言
ジョン・コルトレーン(John Coltrane 1926年~1967年)の名言です。思わずクスっと笑ってしまうような、本音が漏れたもや、深遠で考えさせられるものもありました。