ジョージ・シアリング(Sir George Shearing 1919年~2011年) はイギリス人のジャズピアニストです。
晩年にはその功績から英国女王からナイトの称号を叙勲され、正式には名前に「サー(Sir)」の敬称がつきます。
ジャズのスタンダード曲としておなじみとなった「バードランドの子守歌(Lullaby of Birdland)」の作曲者としても有名です。
ジョージ・シアリングが作曲した有名曲「バードランドの子守歌(Lullaby of Birdland)」
「バードランドの子守歌(Lullaby of Birdland)」は1952年に、ニューヨークのジャズクラブ「バードランド( Birdland)」のオーナーの依頼で、ジョージ・シアリングが作曲したもの。
ウィキペディアによると、ジョージ・シアリングは「バードランドの子守歌(Lullaby of Birdland)」をわずか10分ほどで作曲したとのこと。
歌詞もつけられていて、インストルメンタルで演奏されるだけでなく、多くのボーカリストにも歌われています。
「バードランドの子守歌(Lullaby of Birdland)」はたくさんのジャズシンガーが歌っていますが、一番有名なのは、トランペッターのクリフォード・ブラウン(Clifford Brown)と録音した、イントロのスキャットが印象的なサラ・ヴォーンのバージョンではないでしょうか。
ジョージ・シアリング自身が演奏している「バードランドの子守歌(Lullaby of Birdland)」はこちら。
またジャズピアノの奏法の1つ、シアリング奏法(オクターブでメロディを弾きながら、その間にコードの構成音をはさむ)の生みの親としても有名です。
ジョージ・シアリングの生い立ち
ジョージ・シアリング(Sir George Shearing)は1919年ロンドン生まれ。
父は炭鉱夫、母は掃除婦で、貧しい暮らしでした。
生後間もなく盲目となったという説と、生まれたときから目が見えなかったという説があります。
3歳からピアノをはじめ、その後盲学校に入学した後、正式にピアノを学びます。
盲学校を卒業した1937年ごろから正式にプロとして活動をはじめます。
ジョージ・シアリングが影響を受けたミュージシャンたち
当初、ジョージ・シアリングはアート・テイタム、テディ・ウィルソン、ファッツ・ウォーラーなどの米国のミュージシャンの影響を受け、そのスタイルを真似ていたようですが、徐々に自分独自のスタイルを築きます。
アート・テイタムも盲目のジャズピアニストでした。ピアノ1つで、指10本で、こんなにいろいろ弾けちゃう人です。
テディ・ウイルソンは、アート・テイタムや、テディ・ウイルソンと同じく人種差別が公然と行われていた時代のジャズピアニスト。それまで公の場で演奏するオーケストラはヨーロッパ系アメリカ人(いわゆる白人)だけで構成されていましたが、初めてアフリカ系アメリカ人としてオーケストラに入って演奏した人。
ファッツ・ウォーラーは「ハニーサックル・ローズ」(Honeysuckle Rose)」を作曲したジャズピアニストで大食漢で大食いのエピソードにも事欠かない人。ここではコミカルな歌声も聞かせています。
ファッツ・ウォーラーについては、こちらに書いてます。
ジョージ・シアリングとステファン・グラッペリ
イギリスにいたころは、フランスのジャズバイオリン奏者、ステファン・グラッペリ(Stéphane Grappelli)とも一緒に演奏していたとのこと。
こちらは円熟味を増したジョージ・シアリングとステファン・グラッペリが再び共演したアルバム。息ぴったりで、楽しそうな2人の音にほっこりします。
ジョージ・シアリング、イギリスからアメリカへ
ジョージ・シアリングは1947年にイギリスからアメリカに渡ります。
1956年にはアメリカに帰化。
1950年代後半には、ハーモニカ奏者のトゥーツ・シールマンス (Toots Thielemans)が、ジョージ・シアリングのクインテットになんと、ギタリストで参加していたそうです。
トゥーツ・シールマンス (Toots Thielemans)といえばこの曲「ブルーゼット(Bluesette)」
もちろんここではハーモニカを演奏しています。
アメリカでのジョージ・シアリングはこんな感じ。跳ね方(スイング感とかタイム感とかいうのかな?)がシアリング独特な感じ。オンリーワンを感じます。
ラテンも好んでいたそうで、ジョージ・シアリングはラテンのアルバムも残しています。
ジョージ・シアリングはモンゴメリー・ブラザースの(Wes Montgomery brothers)のウェス・モンゴメリー(Wes Montgomery)とも共演していて、こちらも2人の間で楽しい化学反応が起きてます。
ウェス・モンゴメリー(Wes Montgomery)については、こちらをご覧ください。
ジョージ・シアリングはボーカルとの相性もばっちり
私はジョージ・シアリングをメル・トーメのアルバムで知りました。ライブ盤なので、メル・トーメが気持ちよさそうに歌うのと、お客さんがゆったりと楽しんでいる雰囲気まで感じられていい感じです。このアルバムはジャズ部門でグラミー賞を受賞しています。
ジョージ・シアリングはメル・トーメだけでなく、ナット・キング・コール、ジョー・ウィリアムスなど、数々のボーカリストとも共演しています。
メル・トーメについてはこちらに書きました。
ジョー・ウィリアムスについてはこちら。
ジョージ・シアリングに夢中になったジャズメン
ジャズピアニストで、数々のヒット曲を持つ作曲者でもあるハービー・ハンコック(Herbie Hancock)は自叙伝「POSSIBILITIES」の中で、若いころ、母親が持っていたジョージ・シアリングのレコードでジャズを知り、夢中になってその演奏をコピーしたと語っています。
ハービー・ハンコック(Herbie Hancock)の自叙伝「POSSIBILITIES」の原書はこちらから購入できます。
ハービー・ハンコック(Herbie Hancock)の自叙伝「POSSIBILITIES」の日本語訳の本はこちらから。
大阪の難波にあったジャズの老舗、セント・ジェームスのオーナーピアニスト田中武久さんも若いころは勉強のためにジョージ・シアリングをコピーしまくったとおっしゃってました。
ジャズピアニストを夢中にさせるジャズピアニスト。
ジョージ・シアリングのすごさを感じさせるエピソードだと思います。
英国女王からナイトの称号を与えられ、ジョージ・シアリング卿に
労働者階級の家庭で生まれ育ったジョージ・シアリング。
英国女王からナイトの称号を与えられたときには
「貧しい盲目の少年がジョージ・シアリング卿になった。おとぎ話が現実になった」
と言ったそうです。
軽やかで楽しそうで、それで聞いていて品格もあるその演奏の裏では、血のにじむような努力とさまざまな苦労があったんだろうなあと思います。
ジョージ・シアリング特有の間、みたいなもの(←うまく言えない)も、押しつけがましさがなく、さらっと、でもしっかりとしていて。
たとえて言うと、しっかりおいしくて、目にも美しい、でもそんなに敷居は高くない懐石料理って感じ?
(↑うーん、うまく言えた気がしない(笑))