アイリーン・クラール(Irene Kral 1932年~1978年)は、シカゴ生まれのジャズシンガーです。
1964年から10年ほど、カリフォルニアでほぼ引退した生活を送っていましたが、復帰。
その復帰後のレコーディングが日本でも評判となった矢先、がんで亡くなります。
46歳という早すぎる死でした。
カムバック後の復帰第一作がこちらです。
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お兄さんのロイ・クラール(Roy kral)もシンガー
アイリーン・クラールは1932年シカゴ生まれ。
10代のころからシンガーとして活動し始めます。
その時アイリーン・クラールの兄、ロイ・クラール(Roy Kral )は、ジャッキー&ロイ(Jackie& Roy)という夫婦デュオで活動していて、すでに人気歌手でした。
カーメン・マクレエとは友人関係
アイリーン・クラールは結婚を機に家庭に入り、カリフォルニアで10年間の引退生活を送ります。
カーメン・マクレエ(Carmen McRae)も結婚を機に、一時期家庭に入り歌手を引退しています。
結婚を機に家庭に入ったところが似ている2人。
そしてこの2人は友人同士でもありました。
メイナード・ファーガソン(Maynard Ferguson)がビッグバンドのシンガーを探していた時の話です。
彼は何人かの歌手をオーデションしましたが、いまいちしっくりくるシンガーを見つけられずにいました。
そんなとき、カーメン・マクレエがアイリーン・クラールをバンドのシンガーに推薦します。
ところが当時、アイリーン・クラールはジャズの仕事では実績がなかったため、メイナード・ファーガソンはあまり興味を持ちませんでした。
その後、彼のバンドがシカゴへツアーで行った際に、アイリーン・クラールは自ら売り込みに出向き、オーデションを経て彼のバンドに採用されます。
「ボーイ・ウィズ・ロッツ・オブ・ブラス(Boy with lots of brass)」のレコーディングにも参加。
同じくそこに参加していたトランぺッターのジョー・バーネット(Joe Barnett)と結婚します。
(1976年に離婚)
このアルバムでアイリーン・クラールは4曲参加しています。
シンガーに愛されるシンガー、アイリーン・クラール
今をときめくジャズシンガー、ダイアナ・クラール(Diana Krall)も敬愛するボーカリストとしてアイリーン・クラールを挙げています。
アイリーン・クラールは46歳でがんで亡くなります。
亡くなる前に最後のライブを、LAのジャズクラブでおこなったとき、客席にはたった2人のお客さんしかいなかったそうです。
そしてその2人のお客さんとはカーメン・マクレエ(Carmen McRae)とサラ・ヴォーン(Sarah Vaughan)。
2人のほかにお客さんがいなかった理由はわからないのですが、ベテランシンガーにも愛されるシンガーだったのだと思います。
亡くなる前年には来日コンサートも
1975年に発売された復帰第一作「Where is love」は日本でも好評でした。
そのため亡くなる前年には来日コンサートもおこなわれました。
アイリーン・クラールは特にバラードがおすすめ
洗練された都会のしゃれたスイングも彼女の持ち味ですが、アイリーン・クラールといえばバラード。
彼女はバラード歌手だと言い切る意見もあるほどです。
結婚したら女性は家庭に入るのが当たり前の時代。
アイリーン・クラールが結婚後に、一時引退していたのは仕方ないのかもしれません。
でも引退してなかったら。
もっと活躍して、もっとアルバムも残していたのかも。