眼帯のピアニスト ジェイムズ・ブッカーの酒とクスリの生涯

ジェイムズ・ブッカー(James Booker 1939年~1983年)はピアニスト兼シンガーです。

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ジェイムズ・ブッカーのピアノの技術はクラッシック音楽の鍛錬によって、裏付けられたもの。

クラシックの難曲「子犬のワルツ」を、いとも簡単にアレンジして弾くのは朝飯前。

ジャズ、ソウル、R&B、ロックと、ジャンルを超えたピアニストです。

そんな彼は「ショパンのレベルで弾くレイチャールズ」と言われていました。

厳密に言えば、ジェイムズ・ブッカーは生粋のジャズメンではないかもしれません。

でもヨーロッパのお店でソロピアノを弾いている彼を見ると、ジャズの雰囲気が感じられます。

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ジェイムズ・ブッカーが演奏する「子犬のワルツ」がこちらです。

テンポも自由自在。途中でスイングさせたりで、この曲をこんな風に演奏するなんて!と聴いている間中、驚きが止まりません。

※アップルミュージックに登録しなくても「再生」をクリックすると、曲の一部を試聴できます。Internet Explorer(インターネットエクスプローラー)で再生できない場合は、ブラウザをGoogle Chrome(グーグルクローム)やMicrosoft Edge(マイクロソフト エッジ)などに変更してください。

ジェイムズ・ブッカーの生い立ち

ジェイムズ・ブッカーは1939年ニューオリンズに生まれました。

ニューオリンズと言えば、その昔アフリカからの奴隷船が発着していた場所。

白人とアフリカ系が入り乱れた、その地の特殊性ゆえに、ヨーロッパ系のクラシック音楽と、アフリカの土着系音楽が合わさって、ジャズが生まれたと言われている地です。

そんなニューオリンズに生まれたからこそ、クラシックもジャズも自由に弾きこなすジェイムズ・ブッカーが誕生したのかもしれません。

ジェイムズ・ブッカーの父親は牧師でした。

彼の母親は最初、彼にサクソフォンを与えました。

ビル・クロウ(Bill Crow スタン・ゲッツ(Stan Getz)のバンドでベースを弾いていた人)の著書に書いてありましたが、この時代のアフリカ系アメリカ人の彼らは、働ける仕事が限られており、その少ない選択肢の中にあるミュージシャンの職につけるように、子供に楽器を習わせる事は珍しくなかったのだとか。

母親にサクソフォンを与えられたジェイムズ・ブッカーでしたが、興味を示したのは鍵盤楽器。

父親の教会にあったオルガンを弾くようになります。

やがてジェイムズ・ブッカーはわずか11歳でゴスペルのラジオ番組を持ち、14歳の時にピアノで、レコーディングにも参加します。

そしてスタジオ・ミュージシャンとして、ファッツ・ドミノ(Fats Domino)といった大物とも共演するようになります。

セッション・ミュージシャンとして数々の大物と共演

ジェイムズ・ブッカーは1950年代~60年代にかけて、セッション・ミュージシャンとして活躍。

彼がバックを務めたミュージシャンをあげると、ウィルソン・ピケット(Wilson Pickett)、B.B.キング(B. B. King)、リトル・リチャード(Little Richard)など、数々の大物たちの名前があがります。

 

ビリーホリデイ(Billie Holiday)や、数々のブルースメンたちが取り上げた、こんな曲も演奏しています。

この当時の悪夢、ジェイムズ・ブッカーもヘロイン中毒に

マイルス・デイビス(Miles Davis)の自叙伝で、マイルス自身が述べていることですが、この当時のミュージシャンはヘロインを「強壮剤」の一種のようにとらえていました。

ヘロインをやれば、

「一晩中、力強く演奏できる」

チャーリー・パーカー(Charlie Parker)のように演奏できる」

と思われていたようです。

チャーリー・パーカーが長年ヘロインを使用した結果、若くして亡くなったのを見て、ミュージシャン達は

「ヘロインを使い続けると、死ぬんだ!」

と初めて知り、あわてて皆が止めようとしたり、止められなかったりしたそうです。

当時はメデイアも、情報網も、今ほど発達していないでしょうから、さもありなんです。

もしかしたら、ジェイムズ・ブッカーも、そんな1人だったのでしょうか。

デクスター・ゴードン(Dexter Gordon)や、チェットベイカー(Chet Baker)らと同じく、彼もヘロイン不法所持で1年間、服役しています。

ヨーロッパツアーもおこなったジェイムズ・ブッカー

出所した彼は、その後ヨーロッパツアーも行い、好評だったのでしょう。

ヨーロッパのツアー先でレコーディングまで残しています。

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薬物中毒とアルコール依存と精神病と

ところが、ジェイムズ・ブッカーは、そのすばらしい演奏とうらはらに、止められない薬物中毒と、アルコール中毒、そのうえ精神病(躁うつ病と言われています)も患い、次第に演奏にも影響が出始めます。

そのときの状態によって、好調な時と、不調な時の落差が激しくなっていきます。

ジェイムズ・ブッカーは、薬とお酒に依存したそんな状況を変えようと、生活を一新するために、一時市役所の事務員の職につきます。

しかしながら、その仕事もお酒がらみで結局やめてしましました。

 

破滅的な生活のジェイムズ・ブッカーですが、美しいバラードには心うたれます。

このスローなジャズのスタンダードナンバーも、ジェイムズ・ブッカーの手にかかれば、ニューオリンズ風クラッシック音楽といった感じです。

死因はコカインの過剰摂取

ヘロインとコカインは別のドラッグです。

ところが、どうもこの時代のジャズメンはコカインの中毒性については知識がなかったようです。

例えばマイルス・デイヴィス(Miles Davis)も一時ヘロイン中毒でした。

チャーリー・パーカー(Charlie Parker)が亡くなった時、マイルス・デイヴィス(Miles Davis)はヘロインは命を奪うものだと知って、決死の覚悟でヘロインを止めます。

ところがマイルスは自分の腰痛を紛らわすめに、コカインはその後も使用していました。

コカインが危険なものだとは思っていなかったようです。

ジェイムズ・ブッカーもそうだったのでしょうか。

43歳の時にコカインの過剰摂取で、ニューオリンズのチャリティー病院で亡くなります。

ピアニストの尊敬を集め続けているジェイムズ・ブッカー

2003年には、ジェイムズ・ブッカーを愛するピアニスト達によって、トリビュート・アルバムがリリースされました。

ピアニスト達に、今でも愛されているということは、ジェイムズ・ブッカーが、どれだけ優れたピアニストだったかという証明のような気がします。

ジャズなんだけど、クラシックの感じも少しする。

そしてそこに陽気なニューオリンズの雰囲気も感じられる。

他にないピアニストだと思います。

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私はジェイムズ・ブッカーは、アップライトのピアノが、最高に似合うピアニストだと思っています。

あのアップライトのピアノ特有の軽めの音が、彼の軽快なピアノのスタイルにとても合うような気がします。

たばこの煙がくゆる、ダウンタウンのにぎわっているジャズクラブで、アップライトのピアノを弾いている彼が目に浮かびます。