テナーサックスプレーヤーのジョン・コルトレーン(John Coltrane 1926年~1967年)。
彼は無名時代が長かったので、ジャズシーンの第一線で活動したのは10年ほどという短い期間でした。
にもかかわらず数々の名盤を残し、マイルス・デイヴィス(Miles Davis)やソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)らと並んで、ジャズのレジェンドの地位を築きました。
彼のアルバムはアメリカの至宝として、有名な博物館や美術館に所蔵されるほど。
ジョン・コルトレーンのきわめてすばらしい演奏と、ジャズへの貢献度は多くの人が認めています。
ジョン・コルトレーンの演奏は難解というイメージを持っていたのですが、コルトレーンの入門編として知人にすすめられた、このアルバム「バラード(Ballads)」を聴いて好きになりました。
なかでもこのスイートな演奏に、うっとり。
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ジョン・コルトレーンといえば「マイ・フェイヴァリット・シングス(My Favorite Things)」の演奏と、次の3曲も有名。
「ジャイアント・ステップ(Giant Steps)」はジョン・コルトレーンが作った曲。
「ミスターP.C (Mr.P.C)」もジョン・コルトレーンの作でポール・チェンバース(Paul Chambers)に捧げられた曲。
ジョン・コルトレーンの名盤のご紹介はこちら。
初級&中級編

上級編

ジョン・コルトレーンの生涯(上巻)
ジョン・コルトレーンの生い立ち
ノースカロライナ州ハムレット出身。
父親が亡くなった後、16歳のジョン・コルトレーンはフィラディルフィアに移住。
同じころ、母親にアルトサックスを買ってもらいます。
彼は高校生のときにはすでにコミュニティバンドでクラリネットなどを吹いていましたが、アルトサックスも吹くようになります。
18歳のころには、ギターとピアノとアルトサックスの編成でトリオを結成し、はじめて演奏の仕事もしました。
コルトレーン、入隊した軍隊で初レコーディング
1945年8月6日広島に原爆が投下された日に、ジョン・コルトレーンは海軍に入隊しました。
軍隊でジョン・コルトレーンの音楽の才能は認められましたが、軍隊のバンドであるメロディマスターズは全員白人のバンドだったので、ジョン・コルトレーンはバンドのメンバーではなくゲストとして扱われ演奏しました。
にもかかわらず、ジョン・コルトレーンはバンドの中で指導的な立場に立つようになり、1946年彼にとって初めての録音もこの軍隊のバンドでおこないました。
このとき、ジョン・コルトレーンはアルトサックスを吹いています。
1966年の来日時には、過密スケジュールの合間をぬって長崎の平和公園を訪れ、献花と祈りを捧げています。
ちょうど「地球の平和(Peace On Earth)」を発表したころです。
除隊後、アルトサックスからテナーサックスへ持ち変える
1946年軍を除隊したジョン・コルトレーンは故郷のフィラデルフィアに戻ります。
ときはジャズにビバップが台頭してきた時代。
ジョン・コルトレーンもビバップに魅了され、地元フィラデルフィアで海軍仲間や地元のミュージシャンたちと、演奏活動をはじめます。
そして1947年ごろからテナー・サックスを演奏するようになりました。
ビバップの巨匠たちとの交流
1945年、ジョン・コルトレーンはチャーリー・パーカー(Charlie Parker)の演奏を目の当たりにしてショックを受け、その音楽性も大きく変わります。
チャーリー・パーカーはジョン・コルトレーンのアイドルとなり、2人は時折一緒に演奏しました。
1950年ごろにはディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)のバンドでも演奏しました。
(中巻)に続きます。

ジョン・コルトレーンも順調にキャリアを築いたわけではなく、挫折や失敗もありました。
(中巻)(下巻)では、挫折や失敗から立ち直るコルトレーンがいます。
ジョン・コルトレーンの経歴(下巻)はこちら。

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上級編

ジョン・コルトレーンがサイドマンで参加したアルバムについてはこちら。

ジョン・コルトレーンの名言についてはこちら。
