マイルスやモンクと仲良し!お騒がせなバド・パウエルのエピソード

ビバップのピアニスト、バド・パウエル(Bud Powell 1924年~1966年)

ジャズ界でビバップが主流だった時代に、チャーリー・パーカー(Charlie Parker)ディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)セロニアス・モンク(Thelonious Monk)らとともに、ビバップの担い手として活躍しました。

ピアニストとして活躍するいっぽう、麻薬やアルコールの悪癖や、また深刻な精神疾患も患っていたと言われ、エピソードに事欠かない人。

でも、それまでなかったピアノトリオという編成を定着させたという、ジャズにおいては業績が大きい人でもあります。

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代表曲は「クレオパトラの夢(Cleopatra’s Dream)」

麻薬を断つ治療で受けた電気ショック療法の後遺症で、後半は好不調が大きかったとも言われていますが、この「クレオパトラの夢(Cleopatra’s Dream)」のころは、絶好調。

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バド・パウエルのエピソード

ピアノトリオという形態を定着させたバド・パウエル

今では当たり前となった、ピアノ、ベース、ドラムの3人で構成されるピアノトリオを定着させたのがバド・パウエル。

それまでのジャズにおけるピアノは、ビッグバンドでバッキングをするか、あるいは小さな酒場などで弾かれるソロピアノが主流でした。

ピアノトリオで、ベースラインはベーシストに弾かせ、リズムはドラムにまかせ、ピアノはコードとメロディに専念するというスタイルは、バド・パウエルが作ったと言われています。

マイルス・デイビスと仲良し

若いころのマイルス・ディヴィス(Miles Davis)とは、チャーリーパーカー(Charlie Parker)のバンドなどでたびたび共演。

プライベートでも仲良くなります。

のちにバド・パウエルが、当時麻薬中毒の治療で効果があるとされていた、頭に電気ショックを受ける施術を受けますが、その後廃人のようになってしまい言葉を発しなくなったことがありました。

電気ショックのせいとも、重度のうつ病だったとも言われています。

そんな状態のバド・パウエルがときたま、ふらっとマイルス・ディヴィスの家に遊びに来て、だまって座っているバド・パウエルをマイルスが見守るということもあったそうです。

セロニアス・モンクとも仲良し

このころのジャズメンには個性的な人が多くて、奇人、変人と呼ばれる人も少なくありません。

バド・パウエルの師匠であるセロニアス・モンク(Thelonious Monk)も演奏中に立ち上がって踊ったり、あげくのはてに他の楽器のソロ演奏中に店を出て行って戻ってこなかったりと、超個性的な人。

超個性派同士で気が合ったのでしょうか。

バド・パウエルとセロニアス・モンクの師弟関係は、強い絆で結ばれたものでした。

ある日、パウエルとモンクが連れ立ってジャズクラブにライブを聴きに行ったとき、店に入って席につくなり、パウエルは白いテーブルクロスがかかったテーブルにあろうことか両足を投げ出したのだそうです。

当然、店のウェイターが注意しにやってきたとき、モンクが一言。

「放っておけ。彼は天才なのだから」

と言い放ったのだとか。

バド・パウエル、警官に警棒で頭を殴られる

バド・パウエルが警官に警棒で頭を殴られ、そのときのけがで後々まで頭痛に悩まされていたというのは、有名な話。

でも、どういった状況で殴られたか、には諸説あります。

・大好きな師匠セロニアス・モンクをかばって殴られた説

ある日、バド・パウエルとセロニアス・モンクが乗っていた車が、警察の検問を受け、車の中から大麻(麻薬だったかも)が見つかります。

モンクは麻薬の類はやらないのでバド・パウエルのものと推察されますが、モンクはパウエルが不利になるような証言を拒否。

この件で、後日、警察がモンクが演奏している店に押し入り、モンクを逮捕し無理やり店から連れ出そうとしたときに、パウエルが店の扉に立ちふさがり

「やめなさい、あなたは自分が何をしているのか知らないんだ。

あたなたちは、世界で最も偉大なピアニストを虐待している!」

と警察を止めようとしたときに、警察に暴行されたというもの。

・警備員に殴られた説

酒に酔ったか、麻薬でラリっていたかしたバド・パウエルが、お金も持たずにジャズクラブに入ろうとして、店の警備員ともみ合いになり、殴られたというもの。

マイルス・デイヴィス(Miles Davis)が、言っていたそうです。

・拘留中に警察で殴られた説

バド・パウエルが泥酔した状態で、フィラデルフィア駅で秩序を乱す行為(disorderly conduct )のため警察に逮捕され、拘留中に警察に殴られたという説。

デクスター・ゴードン(Dexter Gordon ) による説です。

 

ジャズメンは普段からお酒を飲んでいることが多くて、しかも面白おかしく話を盛るのも好きな人たちなので、うろ覚えの話を面白おかしく話しているうちに事実と違ってしまったり、他の人の話と混同しちゃったり、噂が伝わっていくうちに伝言ゲーム失敗状態になったり、の結果かと思われます(笑)

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麻薬中毒の治療で指が動かなくなる

当時、ジャズミュージシャンたちの間で麻薬に溺れる人が続出しました。

情報が少なかった時代。

ミュージシャンたちは、麻薬は強壮剤くらいに思っていた人も多くいました。

またチャーリー・パーカー(Charlie Parker)が麻薬中毒だったため、

チャーリー・パーカーのように演奏できるようになりたい」

「麻薬をやれば素晴らしい演奏ができる」

という誤解もあったようです。

マイルス・ディヴィス(Miles Davis)が自伝で書いてましたが、マイルスが若い時、ジャズメンたちは1晩で5ステージほどをこなすのが普通でした。

通常だと、くたくたになってしまうところでも、麻薬の力を借りれば5ステージを楽にこなせるという事情もあったようです。

そしてチャーリー・パーカーが長年の麻薬常習が原因で死んだとき、はじめて麻薬を常習すると死ぬんだと知ったジャズメンたちはこぞって麻薬から足を洗ったり、洗えなかったりしたそうです。

バド・パウエルの場合は、麻薬中毒に効果があると言われていた、脳への電気ショック療法を受けますが、廃人のようになってしまい、おまけに指も以前のように動かなくなります。

そのうえ統合失調症も発症していたとも言われています。

そして活動の場をフランスへ

1960年ごろ、アメリカのジャズは下火となりジャズメンたちは仕事を求めてヨーロッパへと渡りました。

バド・パウエルもフランスへと渡ります。

そして、フランスでのバド・パウエルのエピソードが元となって、主人公をピアニストからテナーサックス奏者へと変えて「ラウンド・ミッドナイト(Round Midnight)」という映画が作られました。

映画「ラウンド・ミッドナイト(Round Midnight)」についてはこちらに書いています。

オフステージのジャズメンを描いた映画「ラウンド・ミッドナイト」
映画「ラウンド・ミッドナイト(Round Midnight)」はヨーロッパ滞在中のジャズピアニストのバド・パウエルがモデル。実際にジャズメンでテナー・サックス奏者として名をはせるデクスター・ゴードンが地のまま?といった感じで主演しました。

 

彼の演奏はビバップの最高峰だという意見がある一方、「どこがいいのか難しすぎてわからない」「初心者にはよさがわからない」という意見もあります。

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若い時に聴いて好きになれなかったけれど、年をとってから聴いたら好きになったという意見も。

とっつきやすいジャズではないかもしれませんが、じわじわとよさがわかってくる、そんなジャズなのかもしれません。