ジャズ・メッセンジャーズ出身のミュージシャンとその演奏

アート・ブレイキー(Art Blakey、1919年~1990年)が長きにわたって率いたジャズ・メッセンジャーズ(Jazz Messengers)

兄貴分のアート・ブレイキーは無名の新人を起用して、育てあげることにもたけていました。

ジャズ・メッセンジャーズ出身で、今も活躍しているミュージシャンたちをご紹介します。

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ジャズ・メッセンジャーの出身者

ジャズ・メッセンジャーズの出身者は次の通り。

(全部上げるときりがないので主な人たちです)

リー・モーガン( Lee Morgan)

トランペットのリー・モーガン( Lee Morgan)

代表曲は「サイドワインダー(The Sidewinder)」

ジャズ・メッセンジャーズの超有名曲「モーニン(Moanin)」は、このリー・モーガンの演奏です。

ボビー・ティモンズ(Bobby Timmons)

その「モーニン(Moanin)」の作曲者で、ピアニストのボビー・ティモンズ(Bobby Timmons)

1958年から1959年に在籍。

1度退団しますが、1961年に復帰した出戻りメンバー。

ウェイン・ショーター(Wayne Shorter )

テナーサックスのウェイン・ショーター(Wayne Shorter )

代表曲は「フットプリンツ(Footprints)」

ウェイン・ショーターはジャズ・メッセンジャーズの音楽監督を担当。

この「チュニジアの夜(A Night in Tunisia)」も、ウェイン・ショーターが音楽監督。

チャック・マンジョーネ(Chuck Mangione)

フリューゲルホルン&トランペットのチャック・マンジョーネ(Chuck Mangione)。

代表曲はフュージョンブームのころに、大ヒットした「フィール・ソー・グッド(Feel So Good)」

フレディ・ハバード(Freddie Hubbard)、シダー・ウォルトン(Cedar Walton)

トランペットのフレディ・ハバード(Freddie Hubbard)と、ピアノのシダー・ウォルトン(Cedar Walton)

マッコイ・ターナー(McCoy Tyner)

ピアノのマッコイ・ターナー(McCoy Tyner)。

「モード・トゥ・ジョン(Mode To Jhon)」はジョン・コルトレーン(John Coltrane)に捧げられた曲。

キース・ジャレット(Keith Jarrett)

ピアノのキース・ジャレット(Keith Jarrett)。

即興の演奏だけで構成されたこの「ザ・ケルンコンサート(Köln)」に、ボビー・マクファーリン(Bobby McFerrin)が挑発されて今のような彼のボーカルスタイルが出来上がったのだとか。

ホントかウソかわかりませんが、キース・ジャレットはジャズ・メッセンジャーズの他のメンバーのことを

「あいつら下手クソだからみんなクビにして」

とブレイキーに直訴したけど聞き入れられなかったので、自分から辞めたという噂もあります。

キース・ジャレットの常に新しい音楽を追求するストイックなイメージが、そういう噂を呼んだのかもしれませんが。

ケニー・ギャレット(Kenny Garrett)

高校生のときに、日本に留学していたアルトサックスのケニー・ギャレット(Kenny Garrett)

マルグリュー・ミラー(Mulgrew Miller)

ピアノのマルグリュー・ミラー(Mulgrew Miller)

ウィルトン・マルサリス(Wynton  Marsalis)

トランペットのウィルトン・マルサリス(Wynton  Marsalis)は、18歳という若さで参加しました。

ブランフォード・マルサリス(Branford Marsalis)

ウィルトン・マルサリスのお兄さんで、テナーサックスのブランフォード・マルサリス(Branford Marsalis)

テレンス・ブランチャード(Terence Blanchard)

ウィルトン・マルサリスの幼馴染で、映画音楽もてがけるトランペットのテレンス・ブランチャード(Terence Blanchard)


ウィルトン・マルサリス(Wynton  Marsalis)からここまでの3人は、つながっているのがすごい。

ベニー・グリーン(Benny Green)

ピアノのベニー・グリーン(Benny Green)


他にも

  • レジー・ワークマン(Reggie Workman)
  • ジェイムス・ウィリアムス(James Williamus)
  • ロニー・プラキシコ(Lonnie Plaxico)
  • アート・ブレイキーの長女で歌手のエブリン・ブレイキー(Evelyn BLakey)

などが在籍していました。

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ジャズ・メッセンジャーズを率いた、アート・ブレイキーの経歴についてはこちらに書きました。

前編(幼少時からイスラム教に改宗、セロニアス・モンクと共演するまで)

大の親日家のジャズドラマー アート・ブレイキーの生涯(前編)
ジャズ・メッセンジャーを長年率いたドラマー、アート・ブレイキー(Art Blakey、1919年~1990年)の経歴の前編。幼少期~イスラム教に改宗して、セロニアス・モンクと共演を重ねるまでです。

後編(ジャズメッセンジャーズを結成してから晩年まで)

大の親日家のジャズドラマー アート・ブレイキーの生涯(後編)
アート・ブレイキー(Art Blakey、1919年~1990年)の生涯の後編。ジャズ・メッセンジャーズを結成してから晩年まで。ビバップのドラムスタイルを確立し<iframe src="https://open.spotify.com/embed/track/6DH9qxj2GJi0lU2Y5FDHky" width="300" height="380" frameborder="0" allowtransparency="true" allow="encrypted-media"></iframe>、アフリカンリズムをジャズのドラムに取り入れた先駆者でもありました。

アート・ブレイキーのエピソードについてはこちら

ピアノからドラムに転向 苦労人アート・ブレイキーのエピソード
「ザ・ジャズ・メッセンジャー」を率いていたことでも有名なドラマー、アート・ブレイキー。大の親日家で、一時は日本の野外フェスに毎年のように参加していました。そんな彼のエピソードの数々。

アート・ブレイキーの名曲のご紹介はこちら。

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの有名曲&名演
アート・ブレイキー(Art Blakey、1919~1990年)とジャズ・メッセンジャーズの、有名な曲&おすすめの曲のご紹介です。

アート・ブレイキー(ジャズ・メッセンジャーズ)の名盤のご紹介はこちら。

(前編)

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの名盤(前編)
アート・ブレイキー(Art Blakey、1919~1990年)&ジャズ・メッセンジャーズの名盤や、おすすめのアルバムのご紹介です。

(後編)

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの名盤(後編)
アート・ブレイキー(Art Blakey、1919~1990年)とジャズ・メッセンジャーズ( Jazz Messengers)の名盤&おすすめアルバムのご紹介、後編です。

アート・ブレイキーがサイドマンで参加アルバムについてはこちら。

アート・ブレイキーがサイドマンで参加したアルバム
アート・ブレイキー(Art Blakey、1919年~1990年)が、他人名義のアルバムにサイドマンとして参加したもので、有名どころをご紹介します。