ポール・チェンバース(Paul Chambers 1935~1969年)はそれまでジャズではあまり用いられなかったアルコ(弓弾き)を多用したり、数々の名盤に参加したりと、素晴らしいベーシストでしたが、この時代のジャズメンにありがちなアルコールとヘロインの悪癖を持った人でもありました。
そんな彼のエピソードを集めてみました。
ポール・チェンバースのエピソード
ポールが飲みすぎたせいでマイルスたちがあわやノーギャラに
ポール・チェンバースは若干20歳でマイルス・デイヴィス(Miles Davis)のバンドに参加。
マイルスのバンドの数々の名盤に、感動的な演奏を残しています。
そのいっぽうで、ポール・チェンバースはお酒を飲みだすと止まらなくなるタイプだったらしく、ライブ前やライブ中に飲み始めて泥酔状態でステージに上がり、ボロボロの演奏を聴かせることもあったようです。
マイルス・デイヴィスの自伝にあったお話ですが、ポール・チェンバースがバンドに参加したころのマイルスは、ツアーの交通手段や宿泊先のホテルの手配、ギャラの交渉などもマイルスがおこなっていたそうです。
そんな中、ツアー先のジャズクラブで、あろうことかポール・チェンバースがギャラのほとんどを飲んでしまったのだとか。
このままではバンド全員がノーギャラになってしまうので、マイルスは店にギャラのアップを交渉。
ポール・チェンバースにはお酒を飲み過ぎないようにクギを刺したのだそうです。
ベロンベロンに酔っ払ってステージに上がり、マイルスにお仕置きされる
ポール・チェンバースは大酒飲みで、時にベロンベロンでステージに上がることもあったそうです。
そんなときにはマイルス・デイヴィス(Miles Davis)は「ソー・ホワット(So What)」のようにベースをフィーチャーした曲や、テンポを保つのが難しいアップテンポの曲などを演奏させて、ポール・チェンバースへのお仕置きにしたようです。
その「ソー・ホワット(So What)」がこちら。
(↓Spotifyに登録すれば(無料でも可)フル再生できます)

ズート・シムズ(Zoot Sims)も大酒飲みで、ベロンベロンに酔っ払ってステージに上がっても演奏には影響しなかったと言われていますが、このあたりは人によるのですね。
ベースソロにアルコとピッチカート奏法を取り入れた
クラシック音楽でよく用いられる、アルコ(弓でベースを弾くスタイル)。
ポール・チェンバースはこのアルコを演奏に多用したことでも知られていますが、最初にジャズにアルコを取り入れたのはデューク・エリントンのバンドにに在籍していたジミー・ブラントン(Jimmy Blanton)で、ポール・チェンバースはブラントンの技法をさらに発展させたといわれています。
アルコ(弓)で弾くと、ベースの音色は明るくなります。
でも音程を保つのがとても難しいのだそうです。
二日酔いでも練習はさぼらない
大酒飲みで、ジャンキーでありながら、ポール・チェンバースは練習の虫で、深酒をした翌朝でも練習していたそうです。
そんな練習の虫だったから、難しいアルコも美しく演奏できたのだと思います。
アルコで演奏しています。
リーダー作は6枚だけど参加したアルバムは400枚!
ポール・チェンバースは若くして亡くなったので、活動期間は短く自身のリーダー作は6枚のみ。

ところが、ベーシストとして参加したアルバムは400枚!
その中には若いころの龝吉 敏子さんと共演したアルバムもあります。
彼のベースラインがメロディアスなのは、若い時に管楽器をやっていたからだとも言われています。
そしてマッチョで、しかもおしゃれだったポール・チェンバースは女性にもモテたのだとか。
もうちょっと長生きして欲しかった!
ポール・チェンバースの生い立ちやその生涯については、こちらに書きました。

他のジャズメンからポール・チェンバースに捧げられた曲は、こちらに集めました。

ポール・チェンバースのリーダー作の名盤はこちら。
