風船のようにほほをふくらませ、上向きに曲がったトランペットを吹くディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie 1917年~ 1993年)
彼はチャーリー・パーカー(Charlie Parker)とともに、ビバップを作り上げました。
ディジー・ガレスピーはビバップの創始者であるとともに、アフロ・キューバンのリズムをジャズに持ち込み、ウキウキして踊りだしたくなるようなジャズを演奏しました。
ソニー・スティット(Sonny Stitt)とソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)を従えて演奏する「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート(On The Sunny Side of The Street)」では、ご機嫌なトランペットも聴かせますが、ソニー・スティット(Sonny Stitt)とソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)のソロが終わった後、最後のコーラスでディジー・ガレスピーの楽しい歌も聴けます。
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ディジー・ガレスピーの経歴
ディジー・ガレスピーの生い立ち
アメリカのサウスカロライナ出身。
父親は、レンガ職人でアマチュアミュージシャン。
ディジー・ガレスピーは、14歳でトロンボーンを始めますが、自分の腕が短くボロンボーン向きでなかったために、すぐにトランペットへ転向します。
家族とともにフィラデルフィアに引っ越したディジー・ガレスピーは、18歳ごろから地元のバンドで演奏するようになりました。
従来のジャズに満足しなかったディジー・ガレスピー
ビバップが生まれる前のジャズは、オーケストラで、お抱えのアレンジャーが作成した譜面どおりに演奏するスタイルが主流でした。
ビル・クロウ(Bill Crow) のエッセイを読んでいても、当時、オーケストラの中で変わった演奏をすると「あいつは譜面通りに演奏しない」と、他のメンバーに文句を言われたようです。
(そんななか、シンガーのビリーエクスタイン(Billy Eckstine)が率いたオーケストラでは、新進気鋭の新人に好きに演奏させていたようです)
オーケストラに入った若き日のディジー・ガレスピーは、従来の演奏スタイルに飽き足らず、新しい演奏をたびたび試みるため、まわりのひんしゅくをかいます。
そしておどけたり、悪ふざけも大好きだったディジー・ガレスピーですが、若い時にはけんかっ早い一面もあり、カッとなってキャブ・キャロウェイ(Cab Calloway)の足をナイフで刺すという事件も起こしています。
キャブ・キャロウェイは映画「ブルース・ブラザース(The Blues Brothers)」で「ミニザムーチャー( Minnie The Moocher)」を歌っていた人です。
そして伝説のミントンズ・プレイハウスのセッションへ
ディジー・ガレスピーのように、楽団での演奏に飽き足らず、自由にジャズを演奏したい若いミュージシャンたちは、やがて仕事を終えた後にミントンズ・プレイハウス( Minton’s Playhouse)に集まって、セッションするようになります。
常連のメンバーは、ドラムのケニー・クラーク(Kenny Clarke)、ギターのチャーリー・クリスチャン(Charlie Christian)、ピアノのセロニアス・モンク(Thelonious Monk)、そしてチャーリー・パーカー(Charlie Parker)など。
彼らはそこで、それまでのジャズにはない、コードを大きく広く展開させ自由なアドリブをおこなえるジャズ、つまり現在でも演奏されているような形態のジャズを生み出しました。
ミントンズ・プレイハウス( Minton’s Playhouse)は、ニューヨークのハーレムにありました。
こちらはジョニー・グリフィン(Johnny Griffin)とエディ・ロックジョウ・デイヴィス(Eddie Lockjaw Davis)のテナー・サックス2管での、ミントンズ・プレイハウスでのライブ盤。
ビバップじゃないけど。
ビバップの父と呼ばれるディジー・ガレスピー
ミントンズ・プレイハウスで、自由で新しいスタイルのジャズを演奏するようになったディジー・ガレスピーは、そこで出会ったチャーリー・パーカー(Charlie Parker)とバンドを結成。
2人で新しいジャズを演奏し出すと、それはやがてビバップ(bebop)と呼ばれ爆発的に流行し、ジャズメンもジャズファンも夢中になっていきます。
チャーリー・パーカー(Charlie Parker)もディジー・ガレスピーも、自分たちが作った新しいジャズについて、若いジャズメンたちに惜しみなく伝授しました。
ディジー・ガレスピーは、自分が編み出した新しいスケールを他のジャズメンに教えました。
自宅に2本電話を引いていて、1本は若いジャズメンたちが教えを乞う専用の電話にしていたという話もあります。
チャーリー・パーカー(Charlie Parker)が後進のジャズメンたちを、あたたかく優しく見守ったのに対して、ディジー・ガレスピーは、時には厳しく指導し、どちらかというと親分肌だったようです。
そのためチャーリー・パーカー(Charlie Parker)はビバップの母、ディジー・ガレスピーはビバップの父とも呼ばれています。
また、同じトランペッターのチェット・ベイカー(Chet Baker)が麻薬常習がゆえに、一時期ジャズを辞めてガソリンスタンドで働いていた時には、ジャズの仕事にもどれるように援助したりもしました。
チャーリー・パーカー(Charlie Parker)とディジー・ガレスピーの「チェニジアの夜(A Night In Tunisia)」
明るくて、みんなを楽しませるのが大好きなディジー・ガレスピー。
そんなディジー・ガレスピーが奏でるジャズは底抜けに明るく、楽しいジャズです。
元気になりたいときに、おすすめです。
曲がったトランペットの誕生秘話など、ディジー・ガレスピーのエピソードについては、こちらに書きました。