エタ・ジェイムズ(Etta James 1938年~2012年)はご存じですか?
Etta Jamesは「エタ・ジェイムズ」や「エタ・ジェームス」、「エッタ・ジェイムス」などと表記されます。
そしてエタ・ジェイムズはジャズ・シンガーではありません。ブルースシンガーです。
それでもジャズを歌ったときのエタ・ジェイムズが素晴らしいので、取り上げました。
例えばこの歌。まぎれもなくジャズなんですが、ジャズシンガーでこういうフィーリングは出せないように思います。
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エタ・ジェイムズ(Etta James)と言えば、ヒット曲「アット・ラスト(At Last)」はあまりに有名。
数々のミュージシャンにカヴァーされています。
2008年に公開の映画「キャデラック・レコード(Cadillac Records)」では、エタ・ジェイムズをビヨンセが演じました。
映画では、エタが麻薬におぼれクスリでヘロヘロになりながら、そして報われぬ恋に涙しながら、この「アット・ラスト(At Last)」という、皮肉にも「ついに愛している人が私のもとにきた!」という内容の歌を、レコーディングする姿も描かれました。
エタ・ジェームズの生涯
生い立ちからデビューまで
カリフォルニア州ロサンゼルス出身。
母親はアフリカ系アメリカ人でエタ・ジェイムズを生んだとき、まだ14歳だったと言われています。
父親はイタリア系の白人で、映画「ハスラー(The Hustler)」のモデルにもなった有名なハスラー(ビリヤードのプレイヤー)とも言われていますが、定かではありません。
祖父母に預けられたエタ・ジェイムズは、5歳のときから教会のゴスペルの合唱団に参加。
ただこの合唱団のボーカルトレーニングというのが、腹から声を出させるために5歳のエタのからだを大人がこぶしでパンチしながら歌わせるという虐待に近いものでした。
家でもポーカーに興じる酒に酔った大人たちのために、歌うように強制され、殴られるということもあったようです。
(でも当時のアフリカ系アメリカ人の女性や子供は、白人からだけじゃなくて、アフリカ系アメリカ人の男たちからも虐げられることが多くて、多かれ少なかれエタと同じような目にあっていたようです)
12歳のときに、母親とサンフランシスコに移住したエタ・ジェイムズは、友人たちとコーラス・グループを結成。
エタが若干14歳のとき、このコーラス・グループがジョニー・オーティス(Johnny Otis ドラマーでR&Bの重鎮。プロデューサーとして若手の発掘にも熱心だった)に認められデビューへ。
これがデビュー曲。もとは「ロール・ウィズ・ミー、ヘンリー(Roll With Me, Henry)」という曲名でしたが性的なものを連想させるということで「ダンス・ウィズ・ミー、ヘンリー(Dance With Me, Henry)」に変更。1955年にリリースされたこの曲はR&Bチャートにチャートインして大ヒット。それを白人のポップス歌手ジョージア・ギブスが「ザ・ウォール・フラワー(The Wallflower)」という曲名に変更して、またヒットさせました。
人種差別が激しかった当時は、アフリカ系がヒットさせた曲を、タイトルを変えて白人がリリースするというのは日常茶飯事でした。
1960年~1976年のチェス・レコード時代
1961年にチェス・レコードの傘下レーベルから出した「アット・ラスト(At Last)」が大ヒット。
1964年にはアルバム「ロックス・ザ・ハウス(Rocks the House)」で、ブルースをシャウト。
他にも「イフ・アイ・キャント・ハヴ・ユー(If I Can’t Have You)」「テル・ママ(Tell Mama)」「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド(I’d Rather Go Blind)」などのヒット曲を飛ばしました。
サザンソウルといった感じの「テル・ママ(Tell Mama)」。
「私はむしろ盲目になりたい。去っていくあんたを見たくないから」とうなるようにシャウトして歌うブルース「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド(I’d Rather Go Blind)」は数えきれないくらいカヴァーされて、ブルースのクラシック曲という感じ。
ビヨンセがエタ・ジェイムズを演じた映画「キャデラック・レコード(Cadillac Records)」では、このころの絶頂期のエタが、母親をはじめ何人もの家族たちを養い、お金をせびられるシーンがありました。
麻薬におぼれた低迷期
早くから麻薬を常用していたエタ・ジェイムズ。
1970年代のはじめごろからエタ・ジェイムズの麻薬中毒は深刻な状態に。
実は「テル・ママ(Tell Mama)」のレコディングに入る前にも、29歳だったエタ・ジェイムズは薬物不法所持でロサンジェルスの刑務所に服役し、病院で薬物のリハビリ治療を受けていました。
シンガーとしてのキャリアが順調ないっぽうで、私生活はぼろぼろに。
一時的に麻薬をやめることはあってもなかなか断ち切ることができず、深刻なアルコール依存症と麻薬中毒で生活は破綻。
所属していたレコード会社の倒産もあって、たまに歌うこともありましたが、しだいに表舞台からは遠ざかりました。
1990年代に再評価され復活
1988年にサザン・ソウル色が濃い「セヴン・イヤー・イッチ(Seven Year Itch 「七年目の浮気」という意味)」をリリースしたころから、徐々に復活。
R&Bやブルースを歌ういっぽうで、ジャズも歌うようになります。
ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)のナンバーを歌ったアルバム「ミステリー・レイデイ(Mystery Lady)」では、グラミーのベスト・ジャズ・ボーカル賞を受賞。
以後2003年、2004年に、ブルース部門でもグラミー賞を受賞しています。
アルバム「ミステリー・レイデイ(Mystery Lady)」から。エタ・ジェイムズが歌うと、こういう甘いラブソングもブルース色が強い歌に。
復活後は体重に悩まされることに
音楽シーンに戻ってきたエタ・ジェイムズ。
グラミー賞も受賞し、順調な音楽活動を続けますが、1990年以降は、今度は体重の増加に悩まされます。
極度な肥満で歩くこともできず、電気カートでステージに登場したことも。
2003年に肥満治療のために胃を手術し、90キロの減量に成功しました。
2012年に74歳の誕生日の直前に、白血病の合併症で亡くなりました。
ちなみにエッタ・ジョーンズ(Etta Jones)という似た名前のジャズシンガーがいますが、当然別人です。
別人ですが、そのエッタ・ジョーンズ(Etta Jones)もいいです。おすすめです。
エッタ・ジョーンズもジャズシンガーでありながら、ブルースっぽさも持っているので、なおややこしい。
UFJとUSJと同じくらい、エタ・ジェイムズ(Etta James)とエッタ・ジョーンズ(Etta Jones)は言い間違えるので、ご用心。(私だけ?)
エタ・ジェイムズが歌うジャズの名曲のご紹介はこちら。
エタ・ジェイムズが歌うジャズの名盤についてはこちら。