ホレス・シルヴァー(Horace Silver 1928年~2014年)は、数々の名盤にサイドマンとして参加。
アート・ブレイキー(Art Blakey)が長年率いたジャズ・メッセンジャーズ(The Jazz Messengers)にも初期のころに参加。
自己のリーダーバンドも率いて活躍しました。
ホレス・シルヴァーはピアニストとしても素晴らしい演奏を残していますが、素晴らしい作曲家でもありました。
聴いていると自然とからだがリズムをとってしまうような、ファンキーなナンバーを数多く残しています。
例えば、こんな曲。
ホレス・シルヴァーの経歴
ホレス・シルバーの生い立ち
コネチカット州ノーウォーク出身。
ホレス・シルバーの父親はアフリカの西側にある島国で、当時ポルトガルの領地だったカーボベルデ出身。
ボサノバ音楽の国、ブラジルもポルトガル領地でした。
ホレス・シルヴァーの父親の出身地、カーボベルデは、そういった歴史的なことがらや、地理的影響を受けていました。
そのためカーボベルデの音楽は、ポルトガル、カリブ海諸島、アフリカ、ブラジルなどの音楽を融合したものとなりました。
父親もミュージシャンだったので、ホレス・シルヴァーも父親の影響を受け、そういった南米音楽に親しんでいたようです。
スタン・ゲッツに見いだされたホレス・シルヴァー
10代のころのホレス・シルヴァーはブギー・ウーギー、ブルースといった音楽や、バド・パウエル(Bud Powell)、セロニアス・モンク(Thelonious Monk)など、さまざまな音楽を聴いていて、ピアノとサックスを演奏していました。
やがてホレス・シルヴァーはピアノをおもに演奏するようになります。
ピアノトリオを組んで、コネチカット州で演奏活動をしていたときに、スタン・ゲッツ(Stan Getz)に見いだされ、ツアーに参加することとなります。
またスタン・ゲッツのアルバム「ザ・コンプリート・ルースト・レコーディングズ(The Complete Roost Recordings)」にも参加、曲も提供しました。
「ザ・コンプリート・ルースト・レコーディングズ(The Complete Roost Recordings)」に収録されている「ペニー(Penny)」「スプリット・キック(Split Kick)」「ポッターズ・ラック(Potter’s Luck)」はホレス・シルバーの作曲。
(初参加で3曲も曲を提供って、どれだけ気に入られとんねん!)
ホレス・シルヴァーは2年間、スタン・ゲッツのバンドに在籍したのちに、ニューヨークへ拠点を移します。
ホレス・シルヴァーは初期のジャズ・メッセンジャーズにも在籍
1951年、へと進出したホレス・シルヴァー。
コールマン・ホーキンス(Coleman Hawkins)、レスター・ヤング(Lester Young)など、当時の花形プレイヤーたちと共演するようになります。
1954年~1955年にはアート・ブレイキ(Art Blakey)ーとジャズ・メッセンジャーズ( Jazz Messengers)を結成。
ジャズ・メッセンジャーズ( Jazz Messengers)を退団した後は、自己のバンドを率いて大活躍。
ホレス・シルヴァーはブルーノートのハウスピアニストとしても活躍。
そのいっぽうで、短期間ですが自分のレーベル会社を作ったりもしました。
85歳で自宅で亡くなりました。
ホレス・シルヴァーのおすすめの曲はこちらをごらんください。