サラ・ヴォーン(Sarah Vaughan 1924年~ 1990年)の歌を初めて聴いたとき、私は彼女をオペラ歌手だと思いました。
オペラ歌手がジャズを歌っているのかな?と思ったのです。
豊かな声量、幅広い音域、力強いファルセット。
自由自在に音を操る彼女の声は、クラシック歌手のようです。
そしてサラ・ヴォーンがスキャットしていると、まるで管楽器のソロのように聞こえます。
ホーンそのもののような声。
サラ・ヴォーンは三大ジャズ歌手の一人。
聴けば、その偉大さがわかります。
サラ・ヴォーンの生涯
サラ・ヴォーンの生い立ち
サラ・ヴォーンはニュージャージー州ニューアーク出身。
サラ・ヴォーンの父は大工で、ギターとピアノを演奏するアマチュアミュージシャンでした。
母親は教会の聖歌隊で歌っていました。
サラ・ヴォーン自身も7歳でピアノとオルガンを弾き始め、聖歌隊で歌うようになります。
10代の中頃には、地元のクラブで年齢を偽ってピアニストや歌手として仕事をするようになります。
そして音楽活動に集中するために、高校を中退。
1942年、サラ・ヴォーンはニューヨークのアポロ劇場の、アマチュアコンテストに出場しますが、サラ自身が歌ったのではなく、友人の歌手のピアノの伴奏者としてでした。
アポロ劇場のアマチュアコンテストで優勝
後日、サラ・ヴォーンは再度、アポロ劇場のアマチュアコンテストに出場。
今度はサラ自身が「身も心も(Body and Soul)」を歌って優勝します。
そしてたまたまこのコンテストを見に来ていたビリー・エクスタイン(Billy Eckstine)とアール・ハインズ(Earl Hines)に見いだされます。
これには諸説あって、ビリー・エクスタインがアール・ハインズに紹介した、そうではなくアール・ハインズも見ていた、といろいろです。
でもこのコンテストが、プロとして飛躍するきっかけとなったことは確かです。
サラ・ヴォーンはアール・ハインズのバンドにピアニスト兼歌手として雇われました。
バード、ディジー、ブレイキーと同じバンドで歌っていたサラ・ヴォーン
その後、サラ・ヴォーンは、アール・ハインズ(Earl Hines)のバンドを独立して、自分のバンドを持つようになったビリー・エクスタイン(Billy Eckstine)のバンドに参加。
サラ・ヴォーンが参加したころのビリー・エクスタインのバンドには、チャーリー・パーカー(Charlie Parker) 、ディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)、アート・ブレイキー(Art Blakey)など、のちにビバップをになうことになる、そうそうたるメンバーが在籍していました。
仕事で素晴らしいメンバーの演奏を聴きながら、サラ・ヴォーンは「ホーンのように歌いたい」と思うようになったそうです。
そしてこのビリー・エクスタインのバンドに在籍していたころのサラ・ヴォーンを、まだ地元で高校を卒業したばかりのマイルス・デイヴィスが聴いて
「ホーンのようだ!」
と驚いたそうです。
マイルス・デイヴィスの自叙伝
マイルス・デイヴィスの自叙伝についてはこちらに書きました。
サラ・ヴォーンの名曲
サラ・ヴォーンのばあい、どれもよくって、どれをおすすめしていいやら悩むところですが。。。。
「ララバイ・オブ・バードランド(Lullaby Of Birdland)」といえば、スキャットのイントロではじまり、スキャットのエンディングで終わる、サラ・ヴォーンのバージョンが超有名。
セッションなんかでも、このバージョンで歌う人が多いです。
(↓Spotifyに登録すれば(無料でも可)フル再生できます)
「この人、オペラ歌手?」と思ってしまうこの曲。
サラの声量の豊かさが、これでもか!とばかりに生かされています。
はじめから終わりまで全部スキャット。
ジョー・パスのギターソロと、そん色ないというか、ギターソロのようなスキャット。
サラ・ヴォーンは「ジャスト・フレンズ(Just Friends)」をスローで歌ったバージョンもありますが、こちらのアップテンポのバージョンが有名。
日本のプロのヴォーカルさんで、スキャットもこのまま歌っているかたもおられました。
やわらかく、太く、豊かなサラの声で歌う、この曲も絶品。
「時さえ忘れて(I Din’t Know What Time Was)」については、サラ・ヴォーンを超える歌に、まだお目にかかった(お耳にかかった?)ことがありません。
ぐっとテンポを落として歌う「マイ・フェイバリット・シング(My Favorite Things)」
女の子が泣くのを我慢するために、一生懸命自分の好きなものを数えている感じがします。
ソングライター、サンディ・リンザー&デニー・ランドル(Sandy Linzer and Denny Randell)がバッハ(Bach)の曲に歌詞をつけてポップスとして流行らせた「ラバーズ・コンチェルト(A Lover’s Concerto)」
日本でもCMなどに使用されて、大ヒットしました。
ちなみに「ラヴァーズ・コンチェルト(A Lover’s Concerto)」の原曲はこちら。
ピアノを習っていた人なら知っている、超有名ピアノ練習曲。
熱心なリスナーでもあったサラ・ヴォーン
LA在住のかたに聞いた話ですが、サラ・ヴォーンがLAに住んでいたころ、よく地元のジャズクラブの客席にサラ・ヴォーンの姿があったのだとか。
さまざまなジャズのライブををお客さんとして楽しんでいたそうです。
ジャズシンガーのアイリーン・クラール(Irene Kral) のラストステージは、サラ・ヴォーンとカーメン・マクレエ(Carmen McRae)の2人だけを客席に迎えておこなわれました。
大阪にあった老舗のジャズクラブ、セント・ジェームス(St.james 現在は閉店)にも、来日した際、サラ・ヴォーンがふらっとやってきたそうです。
そして一時間ほど、ピアニストの田中武史さんのピアノを聴いた後
「歌ってもいいか?」
と聞いた後、1時間あまり歌ったそうです。
プライベートで。
仕事ではなく。
どれだけジャズが、歌が好きなんだ!とこの話を聞いたとき、感動しました。
セント・ジェームスに来た時には、すでに大スターだったのに。
この写真が、セント・ジェームスで、サラ・ヴォーンが座った椅子です。
最初は、後ろのソファーに座っていたのに、おもむろにピアノのすぐ前のこの椅子に移って、田中さんのピアノにじっと耳をかたむけていたそうです。
もう、サラ・ヴォーンが座った椅子だ!というだけで、感動。
セント・ジェームスは閉店したけど、あの椅子はどこに行ったんだろう。。。。
サラ・ヴォーンのジャズは、確かな技術に裏打ちされたジャズといった感じ。
豊かな声量でいて、軽々と音を飛び回りスイングします。
歌いこまれたバラードも聴きごたえあり。
サラ・ヴォーンのような声で、サラ・ヴォーンのように歌う人は、いまだにいないように思います。
サラ・ヴォーンの名盤については、こちらに書きました。