17歳でマイルス・デイヴィスに大抜擢 トニー・ウイリアムスの生涯

トニー・ウイリアムス(Tony Williams)1945年~1997年は、10代で華々しくデビューした天才ドラマーです。

当時すでに花形スターだったマイルス・デイヴィス(Miles  Davis)のバンドに、彼は若干17歳で加入しました。

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トニー・ウイリアムスの経歴

トニー・ウイリアムスは1945年シカゴのボストン生まれ。

父親もジャズミュージシャン(サックス)で、幼いころからジャズクラブに連れていってもらうなど、ジャズが身近な環境で育ちました。

11歳からドラムを習いはじめ、その翌年にはもうバンドで演奏。

やがて地元ボストンでは名の知れた存在となり、ボストンを訪れたジャッキー・マクリーン(Jackie Mclean)の目に留まります。

1962年にジャッキー・マクリーンはトニー・ウイリアムスをニューヨークに呼び寄せ、レコーディングにトニーを参加させました。

そしてジャッキー・マクリーンの演奏を聴きにきていたマイルス・デイヴィス(ジャッキー・マクリーンは若いころ、マイルスのバンドに在籍していた。)に、ジャッキーがトニーを紹介。

1963年に、トニー・ウイリアムスはマイルス・デイヴィスのバンドに参加することとなります。

その時、トニー・ウイリアムスはまだ17歳でした。

トニー・ウイリアムスが初めてマイルスのバンドに参加したのが、こちら。

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 ハービー・ハンコックも驚愕の腕前

これはハービー・ハンコック(Herbie Hancock)の自伝に出てくるお話。

1962年、まだボストンにいたトニー・ウイリアムスの演奏を聴いたハービー・ハンコックは、その時点では、まだ彼の演奏に興味をひかれませんでした。

翌年、ニューヨークに出てきたトニー・ウイリアムスとセッションをしたハービーは、聴いたこともないリズムをたたくトニーにびっくり。

一瞬ピアノを弾く手が止まったそうです。

またハービーは、トニーはドラムをたたくために生まれてきた、とも言っています。

のちにマイルス・デイヴィスのバンドで2人は一緒にプレイするようになるのですが、最初に

「マイルス・デイヴィスと一緒にプレイしない?」

とハービー・ハンコックに電話をくれたのはトニー・ウイリアムスでした。

本来ならジャズクラブでは演奏できない年齢で演奏

17歳という年齢は、本来なら法律でジャズクラブでは演奏できない年齢でした。

それでもトニー・ウイリアムスに演奏させるために、ジャズクラブでも法律をかいくぐるべく知恵を絞りました。

例えば、トニー・ウイリアムスが演奏している間だけアルコールの販売を止める。

ファーストセットだけ違うドラマーにたたかせ、その間にお酒を売り、セカンドからはトニーにたたかせてお酒の販売をストップするなどです。

またマイルス・デイヴィスは、幼さが残るトニー・ウイリアムスに口ひげをはやさせました。

マイルス・デイヴィス自身も、かつてニューヨークに出てきた若かりし頃、チャーリー・パーカー(Charlie Parker )と演奏するにあたって、幼く見える外見をカバーするために口ひげをはやしたの同じでした。

せっかちで、若さゆえ?マイルスとたびたび衝突

自分とは年の離れたマイルスのバンドのメンバーの中で、まだ未成年のトニー・ウイリアムスが委縮するかといえば、逆でした。

これもハービー・ハンコックの自伝にあるお話。

そのころ、トニーはマイルスが所有している部屋に住んでいたのですが、その件でトニーがマイルスに支払うお金について「部屋代(rent)だ」(←マイルスは貸しているつもり)、「ローン(loan)だ」(←トニーは買い取るつもり)と言い争うのは常。

17歳のトニーが、41歳という父親ほどの年齢のマイルスに「なぜ練習しないのか」と小言めいたことをいうことも。

常に言い争うため、2人は口を利かない時期もあったのだとか。

マイルス・デイヴィスの自伝でも、同じようなことが書かれています。

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トニー・ウイリアムスの超高速ドラミング

トニー・ウイリアムスが参加してからのマイルスのバンドは、曲のテンポがどんどん速くなります。

ハービー・ハンコックの推察によると(「僕が間違っているかもしれないけれど」とあくまで彼の推察ですが)若かったトニーは、ミドルテンポやバラードのゆっくりしたテンポをキープするのが若干苦手だったので、彼が技術を習得するまで、得意なアップテンポをマイルスはやらせたのではないかということです。

このアルバムも早いです(笑)

常に学んでいたトニー・ウイリアムスゆえ?のジャンル超え

常に貪欲に何かを学んでいたといわれるトニー・ウイリアムス。

彼の興味はジャズのみならず、ロック、クラシック音楽とジャンルを超えて広がります。

マイルス・デイヴィスのバンドの後、トニー・ウイリアムスはジャズ、ロック、フュージョン、ファンクを融合したフリーミュージックを展開するバンド、「ライフタイム(Life Time)」を結成。

ジャズとロックを自由に行き来するドラミングを聴かせます。

そしてまたジャズに戻ってきたトニー・ウイリアム

1975年、ハンク・ジョーンズ(Hank Jones ピアノ)と、マイルスのバンドでも一緒だったロン・カーター(Ron Carter  ベース)とグレート・ジャズ・トリオを結成。

(ヴィレッジ・ヴァンガードに出演後、トニーは脱退。その後は、たまに参加。)

トニー・ウイリアムスはジャズに帰ってきました。

1976年にはマイルスのバンドで一緒だったメンバー(マイルスを除いた全員)とV.S.O.Pを結成。

活躍中の突然の死

1995年には新たに「アルカナ (Arcana) 」という名のトリオを結成。

1996年には日本で録音もおこないました。

そして1997年、胆嚢の手術を受けた際に、予期せぬ心臓発作で亡くなりました。

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51歳でした。