アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの有名曲&名演

アート・ブレイキー(Art Blakey、1919~1990年)とジャズ・メッセンジャーズ(The Jazz Messengers)の名曲のご紹介です。

若干、私の好みも反映されているかもしれませんが、なるべく有名どころを中心にご紹介します。

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アート・ブレイキーの生涯については、こちらに書きました。

前編(幼少時からイスラム教に改宗、セロニアス・モンクと共演するまで)

大の親日家のジャズドラマー アート・ブレイキーの生涯(前編)
ジャズ・メッセンジャーを長年率いたドラマー、アート・ブレイキー(Art Blakey、1919年~1990年)の経歴の前編。幼少期~イスラム教に改宗して、セロニアス・モンクと共演を重ねるまでです。

後編(ジャズ・メッセンジャーズを結成してから晩年まで)

大の親日家のジャズドラマー アート・ブレイキーの生涯(後編)
アート・ブレイキー(Art Blakey、1919年~1990年)の生涯の後編。ジャズ・メッセンジャーズを結成してから晩年まで。ビバップのドラムスタイルを確立し<iframe src="https://open.spotify.com/embed/track/6DH9qxj2GJi0lU2Y5FDHky" width="300" height="380" frameborder="0" allowtransparency="true" allow="encrypted-media"></iframe>、アフリカンリズムをジャズのドラムに取り入れた先駆者でもありました。

アート・ブレイキーのエピソードについてはこちら。

ピアノからドラムに転向 苦労人アート・ブレイキーのエピソード
「ザ・ジャズ・メッセンジャー」を率いていたことでも有名なドラマー、アート・ブレイキー。大の親日家で、一時は日本の野外フェスに毎年のように参加していました。そんな彼のエピソードの数々。

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの名盤のご紹介はこちら。

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの名盤(前編)
アート・ブレイキー(Art Blakey、1919~1990年)&ジャズ・メッセンジャーズの名盤や、おすすめのアルバムのご紹介です。
アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの名盤(後編)
アート・ブレイキー(Art Blakey、1919~1990年)とジャズ・メッセンジャーズ( Jazz Messengers)の名盤&おすすめアルバムのご紹介、後編です。

アート・ブレイキーがサイドマンで参加したアルバムのご紹介はこちら。

アート・ブレイキーがサイドマンで参加したアルバム
アート・ブレイキー(Art Blakey、1919年~1990年)が、他人名義のアルバムにサイドマンとして参加したもので、有名どころをご紹介します。

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの有名曲&名曲

モーニン(Moanin’)

なにをさておいても、アート・ブレイキーいえば、いの一番にあげられるのがこの曲「モーニン(Moanin’)」

ジャズ・メッセンジャーズ(The Jazz Messengers) のメンバーだったピアニスト、ボビー・ティモンズ(Bobby Timmons)の作曲。

(↓Spotifyに登録すれば(無料でも可)フル再生できます)

Spotify - Web Player: Music for everyone
Spotify is a digital music service that gives you access to millions of songs.

ブルース・マーチ(Blues March)

「ブルース・マーチ(Blues March)」はジャズ・メッセンジャーズに参加していた、テナーサックスのベニー・ゴルソン(Benny Golson)作曲。

ウィスパー・ノット(Whisper Not)

こちらも、テナーサックスのベニー・ゴルソン(Benny Golson)作曲。

実は私は長年、「ウィスパー・ノット(Whisper Not)」はマイルス・デイヴィスの曲だと思い込んでました。

アイ・リメンバー・クリフォード(I Remember Clifford)

ジャズ・メッセンジャーにも在籍していたトランぺッターのクリフォード・ブラウン(Clifford Brown)。

彼は天才と言われながら25歳という若さで自動車事故で亡くなります。

「アイ・リメンバー・クリフォード(I Remember Clifford)」は友人でもあり、同じくジャズ・メッセンジャーズのメンバーでもあるベニー・ゴルソン(Benny Golson)が、クリフォード・ブラウンに捧げた曲。

クリフォード・ブラウンと入れ違いのようにデビューしたリー・モーガン名義のアルバムに初収録された曲ですが、ジャズ・メッセンジャーズにゆかりの深い曲でもあります。

チュニジアの夜(A Night in Tunisia)

「チュニジアの夜(A Night in Tunisia)」はディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)作曲でジャズ・メッセンジャーズの曲というわけではないのですが、アート・ブレイキーの得意技「ナイアガラ・ロール」を聞くことができる名演奏という点で有名かも。

アート・ブレイキーの得意技「ナイアガラ・ロール」が誕生するきっかけなどは、こちらに書きました。

ナイアガラロールが誕生したアート・ブレイキーの練習方法とスタイル
アート・ブレイキー(Art Blakey、1919年~1990年)のドラムのスタイルについて。ブレイキーの代名詞「ナイヤガラロール」誕生のきっかけとなったかもしれない、若き日のアート・ブレイキーが先輩から伝授された練習方法についてもご紹介します。

ジャズ・メッセンジャーズの有名曲は、主にこの5曲かと思われますが、以下は5曲ほど有名ではないけれど、よくカヴァーされている感じの曲や、ぜひご紹介したい曲などをご紹介します。

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アー・ユー・リアル?(Are You Real?)

「アー・ユー・リアル?(Are You Real?)」は「ブルース・マーチ(Blues March)」を作曲したテナーサックスのベニー・ゴルソン(Benny Golson)の作。

実はベニー・ゴルソンは作曲家、編曲家としても高い評価を得ていて、彼の作品は「ゴルソン・ハーモニー」と称されるほど。

「ウィスパー・ノット (Whisper Not)」「アイ・リメンバー・クリフォード(I Remember Clifford)」の他にも、数々のスタンダードナンバーを残しています。

アロング・ケイム・ベティ(Along Came Betty)

「アロング・ケイム・ベティ(Along Came Betty)」もベニー・ゴルソン(Benny Golson)の作。

余談ですが、このベニー・ゴルソン氏、トム・ハンクス主演映画「ターミナル」の最後のほうに、本人役で出演しています。

テル・イット・ライク・イット・イズ(Tell it like it is)

ウェイン・ショーター(Wayne Shorter)作曲。

エル・トロ(El Toro)

こちらもウェイン・ショーター(Wayne Shorter)作曲。

ザ・フリーダム・ライダー(The Freedom Rider)

アート・ブレイキーのドラムソロを聞くなら、これ。

最初から最後まで、ドラムソロ。

雨月(Ugetsu)

日本びいきのアート・ブレイキーなので、日本語のタイトル曲や、日本にちなんだタイトルの曲も少なくありません。

ニホン・バシ(NIhon Bash)

東京の日本橋をタイトルにしたこの曲。

なんと!当時(1964年)バークリー音楽院に留学中だったナベサダこと渡辺貞夫さんが作った曲!

まだまだあります。

アート・ブレイキーもジャズ・メッセンジャーズも活動期間が長いので、膨大な録音の中からお気に入りの曲を探す楽しみは尽きません。

しかもいろんなメンバーか入れ替わり立ち代わり加入しているので、メンバーによって若干雰囲気が変わります。

お気に入りのメンバーでの演奏を探す楽しみもあります。

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アート・ブレイキーの生涯についてはこちら。

前編(幼少時からイスラム教に改宗、セロニアス・モンクと共演するまで)

大の親日家のジャズドラマー アート・ブレイキーの生涯(前編)
ジャズ・メッセンジャーを長年率いたドラマー、アート・ブレイキー(Art Blakey、1919年~1990年)の経歴の前編。幼少期~イスラム教に改宗して、セロニアス・モンクと共演を重ねるまでです。

後編(ジャズメッセンジャーズを結成してから晩年まで)

大の親日家のジャズドラマー アート・ブレイキーの生涯(後編)
アート・ブレイキー(Art Blakey、1919年~1990年)の生涯の後編。ジャズ・メッセンジャーズを結成してから晩年まで。ビバップのドラムスタイルを確立し<iframe src="https://open.spotify.com/embed/track/6DH9qxj2GJi0lU2Y5FDHky" width="300" height="380" frameborder="0" allowtransparency="true" allow="encrypted-media"></iframe>、アフリカンリズムをジャズのドラムに取り入れた先駆者でもありました。

アート・ブレイキーのエピソードについてはこちら。

ピアノからドラムに転向 苦労人アート・ブレイキーのエピソード
「ザ・ジャズ・メッセンジャー」を率いていたことでも有名なドラマー、アート・ブレイキー。大の親日家で、一時は日本の野外フェスに毎年のように参加していました。そんな彼のエピソードの数々。

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの名盤のご紹介はこちら。

(前編)

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの名盤(前編)
アート・ブレイキー(Art Blakey、1919~1990年)&ジャズ・メッセンジャーズの名盤や、おすすめのアルバムのご紹介です。

(後編)

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの名盤(後編)
アート・ブレイキー(Art Blakey、1919~1990年)とジャズ・メッセンジャーズ( Jazz Messengers)の名盤&おすすめアルバムのご紹介、後編です。

アート・ブレイキーがサイドマンで参加したアルバムのご紹介はこちら。

アート・ブレイキーがサイドマンで参加したアルバム
アート・ブレイキー(Art Blakey、1919年~1990年)が、他人名義のアルバムにサイドマンとして参加したもので、有名どころをご紹介します。

アート・ブレイキーの練習方法とドラムのスタイル。

ナイアガラロールが誕生したアート・ブレイキーの練習方法とスタイル
アート・ブレイキー(Art Blakey、1919年~1990年)のドラムのスタイルについて。ブレイキーの代名詞「ナイヤガラロール」誕生のきっかけとなったかもしれない、若き日のアート・ブレイキーが先輩から伝授された練習方法についてもご紹介します。

ジャズ・メッセンジャーズ(Jazz Messengers)出身のミュージシャン

ジャズ・メッセンジャーズ出身のミュージシャンとその演奏
アート・ブレイキーが長きにわたって率いたジャズ・メッセンジャーズ(Jazz Messengers)出身のミュージシャンのご紹介。