数々の名盤でアルトサックスを吹いたジャッキー・マクリーンの生涯

ジャッキー・マクリーン(Jackie Mclean)1931年~2006年はアルトサックスのプレーヤー。

彼は、マイルス・ディヴィス(Miles  Davis)やビル・エヴァンス(Bill Evans)などの大物レジェンドたちに比べると、知名度はいまひとつかもしれません。

しかしながらレジェンドたちの「名盤」と言われる傑作の中に、彼の名前を数多く見ることができます。

レジェンドに愛されるジャズメンといったところでしょうか。

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ジャッキー・マクリーンの経歴

ジャッキー・マクリーンの生い立ち

ジャッキー・マクリーンは1931年、ニューヨークに生まれます。

ジャッキーの父親は、ジャズやリズム&ブルース系のバンドリーダー兼シンガーのタイニー・ブラッドショウ( Tiny Bradshaw)のバックを務めたこともあるギタリスト。

ジャッキー・マクリーン自身も、ハイスクール時代にすでにケニー・ドリュー(Kenny Drew)やソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)と共演するほどの腕前でした。

1951年にはマイルス・デイヴィス(Miles  Davis) のバンドに参加します。

マイルス・デイヴィスのバンドに参加していた時のエピソード

若干20歳でマイルス・デイヴィス(Miles  Davis)のバンドに参加したジャッキー・マクリーン。

以下はマイルス・デイビスの自伝にあった、若き日のジャッキー・マクリーンのお話です。

 

マイルスのバンドが、ある日ジャズクラブで「イエスタディズ(Yesterdays)」というスタンダード曲を演奏しましたが、若いジャッキーの演奏にマイルスは満足しませんでした。

そしてこともあろうかその曲の演奏後、バンドのメンバー紹介時にマイルスは

「ジャッキー・マクリーン。

“Yesterdays”の演奏の仕方も知らないのに、彼がどうやってジャズクラブで演奏するライセンスを取ることができたのか、俺にはわからない」

とジャッキーを紹介。

客席には一瞬ジョーク?という戸惑いの雰囲気が流れたそうです。

ジャッキーは、マイルスがマイクで客席に自分を侮辱するアナウンスしたことにショックを受けます。

そしてライブの後、ジャッキーはマイルスに抗議しているうちに思わず泣いてしまいます。

そんなジャッキーにマイルスは、若いミュージシャンは古い曲を古臭いと軽く見て、新しいものばかり練習しがちだが、古い曲からもっと学ばないといけない、と古い曲を演奏することの大切さを説きます。

それからずいぶんたった後、マイルスのバンドを脱退し自分のバンドを率いるようにまでになっジャッキー・マクリーンのライブを見に来たマイルス・デイビスは、その時ジャッキー・マクリーンが演奏した「イエスタディズ(Yesterdays)」にお墨付きを与えたそうです。

そしてジャッキー・マクリーンは、音楽教育をどこで受けたのかと人に聞かれると

「The University of Miles Davis(マイルス・ディヴィス大学)」(もちろん、そんな大学はありません)と答えていたそうです。

このジャッキーの言葉が発端となり、マイルス・ディヴィスのバンド出身者のミュージシャンたちを「マイルス・ディヴィス大学出身」などとも言うようになりました。

ちなみに、17歳だったトニー・ウィリアムス(Tony Williams)がマイルスのバンドに参加できるように、ジャッキー・マクリーンがトニーの両親を説得したというのは有名なお話です。

 

ジャッキー・マクリーンが初めてマイルスのバンドに参加したアルバム「ディグ(Dig)」

※アップルミュージックに登録しなくても「再生」をクリックすると、曲の一部を試聴できます。Internet Explorer(インターネットエクスプローラー)で再生できない場合は、ブラウザをGoogle Chrome(グーグルクローム)やMicrosoft Edge(マイクロソフト エッジ)などに変更してください。

うまく演奏できるようになった「イエスタディズ(Yesterdays)」

このアルバムにはジャッキー・マクリーンも参加しています。

ジャッキー・マクリーンがサイドを務めた名盤たち

ジャッキー・マクリーンは数々のレジェンドたちの名盤に参加しています。

 

チャールズ・ミンガス(Charles Mingus)と言えば「直立猿人(Pithecanthropus Erectus)」が有名ですが、ジャッキー・マクリーンはこのアルバムにも参加。

 

ソニー・クラーク(Sonny Clark)と言えば、「クールストラッティン」ですが、ジャッキー・マクリーンはここにも参加。

ビリー・ホリディの遺作「Left alone」にも参加

ビリー・ホリディ(Billie Holiday)と、彼女の晩年の伴奏者だったマル・ウォルドン(Mal Waldron)の共作「レフト・アローン(Left Alone)」

ビリー・ホリディ(Billie Holiday)そのものを歌ったような曲です。

録音前にビリー・ホリディ(Billie Holiday)が死去したため、ジャッキー・マクリーンの演奏でレコーディングされました。

 

「レフト・アローン(Left Alone)」は30年程前に、 日本ではマリーンの歌で、流行しました。

これは、当時流行った時のバージョンとは少し違いますが。

 

「レフトアローン(Left Alone)」は、日本では1986年の角川映画「キャバレー」の主題歌で流行りました。

アマゾンプライムでも見れます。(2019年4月現在)

DVDも出てます。

 

「角川映画」というのも懐かしいです。

当時は、薬師丸ひろ子さんや原田知世さんが主演する「角川映画」が一世を風靡していました。

それでマリーンが歌う「レフトアローン(Left Alone)」も、当時とても流行りました。

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ジャッキー・マクリーンのおすすめリーダー盤

ジャッキー・マクリーンはサイドマンばかりやっていたわけではありません。

彼のリーダーバンドもいいんです。

例えばこれ。

ピアノはウォルター・ビショップ・ジュニア(Walter Bishop  Jr.)

 

わずか17歳のトニー・ウィリアムス(Tony Williams)(ドラム)を発掘し、ニューヨークに呼び寄せ、参加させたジャッキー・マクリーンのアルバム。

そしてこの録音の直後、ジャッキーにトニーを紹介されたマイルス・デイヴィス(Miles  Davis)は自分のバンドにトニーを起用。

ジャッキーのおかげでトニーは出世できたと言ってもいいと思います。

多彩なジャズをこなすジャッキーはフリージャズも

チャールズ・ミンガス(Charles Mingus)の「直立猿人(Pithecanthropus Erectus)」でちょっとアクの強い感じがする超個性的なジャズを演奏したかと思えば、ソニークラーク(Sonny Clark) の小粋なジャズもこなす。

そのいっぽうで「レフト・アローン(Left Alone)」では、こってりと濃いめのサックスを聴かせます。

さまざまな相反するようなテイストのジャズを、軽々と渡り歩いて演奏する、なんでもござれなジャッキー・マクリーン。

そのフットワークのよさで、オーネット・コールマン(Ornette Coleman)とフリー・ジャズも吹いてます。

フリージャズなんですがジャッキーが演奏すると、わりに聴きやすい感じになっていると思います。

一時は演奏活動から退くも復帰

1968年にジャッキー・マクリーンは教職につき、一時期、演奏活動を停止。

1970年ごろから活動を再開し、日本にも来日します。

かつて日本で 毎年夏に開かれ、数々のジャズのレジェントたちが演奏したマウント・フジ・ジャズ・フェスティバルには3回ほど、出演しています。

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2006年、コネチカット州で亡くなりました。