戦後のジャズメンを描いた映画「この世の外へ~クラブ進駐軍~」

「この世の外へ~クラブ進駐軍~」は、戦後の日本のジャズを描いた、阪本順治監督の2004年公開映画です。

戦後の日本で、生きていくためにジャズを演奏することになった若者たちの苦悩、悲しみ、葛藤がえがかれています。

戦後、駐留軍相手にジャズを演奏していたジャズメンのようすや、当時の日本のジャズが描かれています。

ジャズ好きじゃない人にも、おすすめしたい、見ごたえのある映画です。

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戦後の進駐軍ジャズの背景

 

戦争が終わり、戦地から働き盛りの男たちが戻ってきました。

でも焼け野原の日本には、職がありません。

そんな中、進駐軍たちが本国アメリカで流行していたジャズを喜んだため、楽器が弾ける者は食べていくためのお金を稼ぐために、即席のジャズメンとなっていきます。

彼らはそれまで敵国だったアメリカのジャズなど聴いたことがなく、譜面もなく、ジャズが何かもよく分からないまま、進駐軍の耳の肥えたアメリカ人の前で演奏することになります。

そして彼らにとってアメリカ兵はかつての敵で、アメリカ兵に肉親や仲間を殺されたジャズメンもいます。

それはアメリカ人も同じで、肉親や仲間を日本軍に殺されたアメリカ兵もいます。

自分たちよりジャズを上手く演奏できるアメリカ兵もいます。

そういう状況で、生きていくために必死になってジャズを演奏する人たちがいました。

だんだん進駐軍ジャズもレブルアップへ

最初はたぶん、相当ひどかったのでしょう。

そして日本のジャズメンのレベルも、ピンからキリまでだったようです。

進駐軍からの苦情もあり、ジャズメンのレベルが審査されるようになり、演奏は許可制になりました。

下手ながら一生懸命努力するジャズメンの姿に感銘されたのか、アメリカ兵の中には、ジャズメンに譜面やレコードをプレゼントする者もいました。

また、アメリカにいる日系のジャズメンたちの中には仕事を求めて、日本に移住する人たちがいました。

かまやつひろしさんのお父さんや、森山良子さんのお父さんなどがそうです。

そういった本場アメリカのジャズを知っている、日系ジャズメンたちも、日本のジャズのレベルアップに一役買ったに違いありません。

「この世の外に~クラブ進駐軍~」あらすじ

敗戦2年後の1947年。

主人公の広岡健太郎は楽器屋の息子で、軍隊では楽隊にいました。

楽隊時代の先輩でベーシストのジョーさん、ピアニストの大野、トランペッターの浅川、未経験の池島がドラムを叩くという編成で、「ラッキーストライカーズ」を結成。

進駐軍のクラブで演奏するようになります。

そのクラブに出入りするも、アメリカ兵の中には肉親を日本軍に殺されたものもいて、日本人というだけで敵意をむき出しにするものや、ラッキーストライカーズの下手な演奏に不快感を示すものもいます。

ラッキーストライカーのメンバーたちも、それぞれ問題を抱えており、それぞれに葛藤もあります。

それでも生きていくために、ジャズの演奏の腕を磨こうともがく若きジャズメンたち。

敵味方だった元日本兵たちとアメリカ兵たちの間には、乗り越え難い憎しみもあります。

それでも食らいつくように必死にジャズを演奏していくうちに、日本人ジャズメンとアメリカ兵の関係も徐々に変化していきます。

完全には和解しきれないし、割り切れない気持ちも持ちながら、でも個人としてはお互いを認め合おうとする、そんな感じを受けました。

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戦後、日本に蔓延したヒロポンも描かれています

戦時中、兵士たちの恐怖心を紛らわすために使用されていたヒロポン。

麻薬と同じく、中毒性があり常用すると死に至る薬です。

当時は情報がいきわたらず、ヒロポンの怖さがまだあまり知られていなかったため、強壮剤として普通に薬局で売られており、容易に手に入れることもできました。

そのため戦後の日本ではヒロポンを常用する人が多く、中毒になる人も後を絶ちませんでした。

漫才で一世を風靡した三人姉妹「かしまし娘」の長女・庄司歌江さんは、子供の時から舞台に立っていましたが、子供の時に「栄養剤だ」と言われて大人にヒロポンを打たれ、20代のころにはヒロポン中毒になっていたそうです。

(その後20代半ば頃に、ヒロポンを断ったそうです。)

映画の中でも、ヒロポン中毒になっていくジャズメンも登場します。

「この世の外へ~クラブ進駐軍~」は俳優さんが豪華!

「この世の外へ~クラブ進駐軍~」は俳優さんたちが、とにかく豪華!

主演の広岡健太郎には、萩原聖人さん。

未経験なのにドラマーになってしまう池島昌三にオダギリジョーさん。

トランペッターの浅川広行は、実生活でもプロのジャズメンであるMITCHさん。

ベースのジョーさんは、ファッションデザイナーとしても活躍する松岡俊介さん。

ピアノの大野明 には村上淳さん。

そのほかにも大杉連さん、哀川翔さん、小倉一郎さん、前田亜季さんなどが脇を固めます。

豪華な出演陣です!

 

「この世の外へ~クラブ進駐軍~」は、U-NEXTでも見れるようです。

(本ページの情報は2019年5月時点のものです。

最新の配信状況は U-NEXTサイトにてご確認ください)

ジャズの本場アメリカから来たアメリカ兵。

戦争で戦った敵兵。

その彼らの前で、生活のためにジャズを演奏するというのは、やりきれない気持ちなど相当の葛藤があったと思います。

そして生きていくために、ジャズの演奏技術を死に物狂いで習得せざるおえなかった状況。

そしていつも思うのですが、昔の日本のジャズの演奏は、音が太いというか、意志の強さを感じます。

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実際に進駐軍相手に演奏していた戦後のジャズメンの、スリーピー松本こと松本英彦さん、ジョー川口さん、クレージーキャッツの面々。

進駐軍相手に演奏してきた人たちは、覚悟の度合いというか、腹のくくり方が違うな、と感じます。

この時代を生き抜いたジャズメン、穐好敏子さんと、ナンシー梅木さんについても書いています。

進駐軍ジャズから本場アメリカへ ジャズの殿堂入りした穐吉敏子さん
戦後まだ間もない頃に、若干26歳で渡米。その才能が注目されチャールズ・ミンガスのバンドに参加。一時、生活が困窮した時期もありましたが、日本の能の要素や、邦楽の楽器などをジャズに取り入れ日本人としてアメリカのジャズ界で不動の位置を築きました。
ジャズシンガー&日本人唯一のオスカー女優 ナンシー・梅木
ナンシー梅木さん(Miyoshi Umeki 1929年~ 2007年)はハリウッド映画にも出演。あのマーロン・ブランドと共演し、アカデミー賞も受賞したジャズ歌手です。戦後の日本で、進駐軍相手に歌ったのがジャズ歌手としてのスタートでした。