チャールズ・ミンガス(Charles Mingus、1922年~1979年)がサイドマンとして参加した、他人名義のアルバムのご紹介、前編です。
チャールズ・ミンガスの名盤のご紹介はこちら。
(前編)
(後編)
まだ自分でバンドを率いる前の初期のころは、チャールズ・ミンガスはサイドマンとして数々のアルバムに参加していました。
チャールズ・ミンガスがサイドマンで参加したアルバム(前編)
チャールズ・ミンガスがサイドマンとして参加したアルバムの中で特に有名なのは、「マネー・ジャングル(MoneyJungle)」と「ジャズ・アット・マッセイホール(Jazz At Massey Hall)」の2つ。
チャールズ・ミンガスは演奏していませんが、チャールズ・ミンガスに捧げられたジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)の「ミンガス(Mingus)」も有名。
ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)の「ミンガス(Mingus)」については後編でご紹介しています。
マネー・ジャングル(MoneyJungle)1962年
1962年、(Duke Ellington)のアルバム「マネー・ジャングル(MoneyJungle)」に、チャールズ・ミンガスはマックス・ローチ(Max Roach )とともに参加。
このアルバムでのデューク・エリントンが、チャールズ・ミンガスの影響か、いつもよりアグレッシブなピアノを弾いている感じがします。
チャールズ・ミンガスはデューク・エリントンのオーケストラに在籍していたときに、メンバーに斧を振り回すという事件を起こし、オーケストラをクビになりました。
(この事件については、エピソード(前編)に書きました。)
チャールズ・ミンガスはクビになった後もデューク・エリントンを尊敬し続け、「デユーク・エリントンズ・サウンド・オブ・ラヴ(Duke Ellington’s Sound of Love)」という曲も作っています。
ジャズ・アット・マッセイホール(Jazz At Massey Hall)1953年
チャールズ・ミンガスがマックス・ローチと設立したレーベル、デビュー・レコードからリリースした最初のアルバム。
バド・パウエル(Bud Powell) 、マックス・ローチ(Max Roach)、ディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie) とチャーリー・パーカー(Charlie Parker)とビバップの巨匠たちが集結し、カナダのトロントにあるマッセイホール(Massey Hall)ででおこなったコンサートのライブ盤。
このコンサートがディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie) とチャーリー・パーカー(Charlie Parker)が最後に一緒に演奏したコンサートとなりました。
ヘビーな麻薬中毒者のチャーリー・パーカー(Charlie Parker)が自分の楽器を持たずに現れたり、飛行機のチケットがメンバー分なかくて、プライベートでは仲が悪いチャーリー・パーカー(Charlie Parker)とディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)が後の便に乗ったり、コンサート日はボクシングのタイトルマッチと重なってお客さんの入りが最低だったり、波乱万丈なコンサートだったようです。
この時の録音でベースの音が小さかったので、チャールズ・ミンガスは帰ってきてからオーバーダビングしたのだとか。
チャーリー・パーカー(Charlie Parker)とバド・パウエル(Bud Powell)、チャールズ・ミンガスがバードランドで共演したときに起きたバードランド事件については、こちらに書きました。
インナー・ファイアー(Inner Fires)1953年
麻薬とアルコール、精神疾患のため、好調と不調の差が激しかったと言われるバド・パウエル(Bud Powell)。
このアルバムはそんなバド・パウエル(Bud Powell)が絶好調だったと言われている時期のもの。
メンバーは、ピアノのバド・パウエル(Bud Powell)、ドラムのロイ・ヘインズ(Roy Haynes)
チャーリー・パーカー(Charlie Parker)とバド・パウエル(Bud Powell)、チャールズ・ミンガスがバードランドで共演したときに起きたバードランド事件では、バド・パウエル(Bud Powell)がちょっとかわいそうでした。
バードランド事件では、チャールズ・ミンガスには罪はなくて、巻き込まれちゃった感じです。
ザ・ニュー・オスカー・ペティフォード・セクステット(The New Oscar Pettiford Sextet ) 1953年
ベーシストのオスカー・ペティフォード (Oscar Pettiford)名義のアルバム。
オスカー・ペティフォードは1曲目と3曲目~5曲目はベースを弾かずチェロを弾いていて、チャールズ・ミンガスが代わりにベースを弾いてます。
メンバーは、チェロ&ベースのオスカー・ペティフォード (Oscar Pettiford)、ホルンのジュリアス・ワトキンス(Julius Watkins)、テナーサックスのフィル・ウルソ(Phil Urso)、ドラムのパーシー・ブライス(Percy Brice)、ピアノのウォルター・ビショップJr.(Walter Bishop, Jr.)
ベリー・トゥルリー・ユアーズ(Very Truly Yours)1955年
ホルモン疾患のため変声期がなく、そのため唯一無二の声を持つジャズシンガーのジミー・スコット(Jimmy Scott) 名義のアルバム。
チャールズ・ミンガスは1~4曲目に参加。
後編に続きます。
こうしてみると、参加しているアルバムが多くて、チャールズ・ミンガスはとても精力的にお仕事されていた感じです。
チャールズ・ミンガスの名盤のご紹介はこちら。
(前編)
(後編)
チャールズ・ミンガスがサイドマンで参加したアルバム(前編)はこちら。
チャールズ・ミンガスの経歴はこちらに書きました。
(前編)生い立ち~初めてベースを手にするまで
(後編)ジャズの世界へ踏み出してから晩年まで
チャールズ・ミンガスのエピソードについてはこちら。
チャールズ・ミンガス自伝?「敗け犬の下で(Bneath the Underdog)」についてはこちら。