ジャズピアニストのバド・パウエルがサイドマンで参加したアルバム

ジャズピアニストで、今日のジャズピアノの演奏スタイルを築いたと言われるバド・パウエル(Bud Powell 1924年~1966年)がサイドマンで参加したアルバムのご紹介です。

それまでのピアニストとは全く違う、でも今日のピアニストの演奏スタイルは、このバド・パウエルが作ったとも言われています。

でも、そのすばらしい演奏の一方で、彼も麻薬やアルコール、精神疾患に悩まされ、その演奏もときにそういった要素に影響されてしまいました。

彼の場合は、麻薬を断つために受けた電気ショック療法も、演奏には悪影響をおよぼしたと言われています。

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バド・パウエルの名盤、有名アルバムについてはこちら。

バド・パウエルの名曲&他のジャズメンからバドに捧げられた曲
バド・パウエル(Bud Powell 1924年~1966年)の名曲、有名曲、名演のご紹介です。自作曲のほかに、他のジャズメンからバド・パウエルに捧げられた曲なども取り上げています。

バド・パウエルがサイドマンで参加したジャズアルバム

アワ・マン・イン・パリ(Our Man in Paris)1963年

テナーサックスのデクスター・ゴードン(Dexter Gordon) の名盤として人気の高い「アワ・マン・イン・パリ(Our Man in Paris)」にもバド・パウエルは参加しています。

「アワ・マン・イン・パリ(Our Man in Paris)」は、同時期にパリに滞在していたデクスター・ゴードン(Dexter Gordon) とバド・パウエル、ケニー・クラーク(Kenny Clarke)にパリのミュージシャンを加えてパリで録音されたアルバムです。

最初デクスター・ゴードン(Dexter Gordon) は、全曲自分のオリジナル曲でアルバムを制作するつもりでしたが、体調がすぐれないバド・パウエルが新しい曲を弾くのを嫌がります。

すったもんだしている間に、バド・パウエルがお酒を飲みだしたので、バド・パウエルが泥酔する前にレコーでイングしなければならなくなり、結局バド・パウエルが演奏し慣れたスタンダードナンバーを、ほとんどワンテイクで録音したのだとか。

その緊張感のせいか、名演、名盤と人気の高いアルバムになりました。

(↓Spotifyに登録すれば(無料でも可)フル再生できます)

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メンバーはテナーサックスのデクスター・ゴードン(Dexter Gordon)、ピアノのバド・パウエル(Bud Powell)、ベースのピエール・ミシュロ(Pierre Michelot)、 ドラムのケニー・クラーク(Kenny Clarke)

ちなみにデクスター・ゴードン(Dexter Gordon)の1958年のアルバム「 デクスター・ライズ・アゲイン(Dexter Rides Again)にもバド・パウエルは参加しています。

ジャズ・アット・マッセイ・ホール(Jazz at Massey Hall)1953年

チャーリー・パーカー(Charlie Parker)ディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)の最後の共演となったコンサートのライブ盤で、チャールズ・ミンガス(Charles Mingus)がマックス・ローチ(Max Roach)と設立したデビューレコードからリリースされた名盤。

メンバーは、トランペットのディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)、アルトサックスのチャーリー・パーカー(Charlie Parker)、ベースのチャールズ・ミンガス(Charles Mingus)、ピアノのバド・パウエル、ドラムのマックス・ローチ(Max Roach)

このマッセイ・ホールでのコンサート中、バド・パウエルは休憩時間になると会場近くのバーに行ってしまい、スタッフが呼び戻しに行くまで飲んでいたのだとか。

麻薬中毒のチャーリー・パーカーと、敬虔なイスラム教徒のディジー・ガレスピーの仲も険悪になっていて、このライブが2人の最後の共演となりました。

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クーティ・ウィリアムス・アンド・ヒズ・オーケストラ1941-1944(Cootie Williams and His Orchestra 1941–1944)

トランぺッターのクーティ・ウィリアムス(Cootie Williams)が率いるオーケストラの1941年と1942年、1944年の録音で制作されたアルバム。

1944年録音分の9~24曲はバド・パウエルのピアノです。

このアルバムがバド・パウエルの初レコーディング。

当時若干20歳だったバド・パウエルをツアーに連れていくために、クーティ・ウィリアムスが法的保護者となっていたそうです。

なお、セロニアス・モンクの名曲「ラウンド・ミッドナイト(Round Midnight)」はこのアルバムが初レコーディング。

(セロニアス・モンク本人が「ラウンド・ミッドナイト(Round Midnight)」をレコーディングしたのは1947年で、1951年にリリースされたアルバム「ジニアス・オブ・モダン・ミュージック Vol.1(Genius of Modern Music:Volume 1)に収録されました)

スティット、パウエル&JJ(Sonny Stitt/Bud Powell/J. J. Johnson)1957年

ソニー・スティット(Sonny Stitt)とバド・パウエル、J・J・ジョンソン(J. J. Johnson)の3人の名前がタイトルになっていますが、共作というわけではなく、ソニー・スティット(Sonny Stitt)が2人を迎えたというかたちのアルバム。

バド・パウエルは1~9曲目までの参加ですが、ここでのプレイがバド・パウエルのプレイの中で最高のものだとも言われています。

メンバーは、テナーサックスのソニー・スティット(Sonny Stitt)、ピアノは1~9曲目がバド・パウエルで10~17曲目はジョン・ルイス(John Lewis)、10~17曲目に参加のトロンボーンのJ・J・ジョンソン(J. J. Johnson)、ベースは1~9曲目はカーリー・ラッセル(Curly Russell)で10~17曲目はネルソン・ボイド(Nelson Boyd)、ドラムはマックス・ローチ(Max Roach)

 

この他にもバドパウエルは、以下のアルバムにサイドマンとして参加しています。

好調なときと不調なときの差が激しいとも言われるバド・パウエルですが、ここにあげたアルバムでは好調なバド・パウエルの演奏を聴くことができます。

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バド・パウエルの生い立ちや生涯については、こちらに書きました。

(前編)

ピアノトリオの生みの親 バド・パウエルの生涯(前編)
パド・パウエル(Bud Powell 1924年~1966年)はビバップのピアニストというだけでなく、それまでに奏法を編み出し現代のピアニストにも影響を与え続けている人。そんな彼のバイオグラフィー(経歴)の前編です。

(後編)

ピアノトリオの生みの親 バド・パウエルの生涯(後編)
バド・パウエル(Bud Powell 1924年~1966年)は精神疾患やアルコール依存症、麻薬中毒などを抱えながら、チャーリー・パーカーがやっていることをピアノで演奏したすごい人と言われています。そんな彼のバイオグラフィー(経歴)の後編です。

バド・パウエルのエピソード

マイルスやモンクと仲良し!お騒がせなバド・パウエルのエピソード
バド・パウエル(Bud Powell 1924年~1966年)はビバップの最高峰ともいわれるジャズピアニストですが、深酒や麻薬の悪癖もあり、また深刻な精神疾患を患っていたとも言われ、エピソードには事欠かない人。そんな彼の数々のエピソードをご紹介します。

バド・パウエルの名曲と、他のジャズメンから捧げられた曲

バド・パウエルの名曲&他のジャズメンからバドに捧げられた曲
バド・パウエル(Bud Powell 1924年~1966年)の名曲、有名曲、名演のご紹介です。自作曲のほかに、他のジャズメンからバド・パウエルに捧げられた曲なども取り上げています。

バド・パウエルのジャズ名盤アルバム

ビバップピアニストだけど、それだけじゃないバド・パウエルの名盤
バド・パウエル(Bud Powell 1924年~1966年)の名盤のご紹介です。好不調が激しかった、後期は電気ショック療法の後遺症で昔のように演奏できなかったなどと言われていますが、有名なアルバムを中心にご紹介していいます。