ビバップが誕生する前のスウィング期に、ラグタイムの一種、ストライド・ピアノでブイブイ言わせたファッツ・ウォーラー(Fats Waller 1904年~1943年)が作った曲と、作ったかもしれない曲をご紹介します。
ジャズが大衆音楽で、ラジオから流れてくるジャズを、みなが楽しんで聞いていた時代の人です。
先日、アート・テイタム(Art Tatum 1909~1956年)の名盤について書いたときに
「アート・テイタム(Art Tatum)を書いたらなら、ファッツ・ウォーラーも書かなくちゃ」
とファッツ・ウォーラーの名盤について書こうとしたら、ファッツ・ウォーラーのコンポーザーとしての側面にもふれないわけにはいかなくなりました。
まずはファッツ・ウォーラーが作った曲、作った可能性がある曲(ファッツ・ウォーラーはお金に困って自作の曲を他人に売り渡したりしていました)をご紹介します。
ファッツ・ウォーラーが作曲した曲
ハニーサックル・ローズ( Honeysuckle Rose)
「ハニーサックル・ローズ( Honeysuckle Rose)」は、1929年にファッツ・ウォーラーが作曲しました。
作詞はアンディー・ラザフ(Andy Razaf)。
(↓Spotifyに登録すれば(無料でも可)フル再生できます)
浮気はやめた( Ain’t Misbehavin)
「浮気はやめた( Ain’t Misbehavin)」も作詞はアンディー・ラザフ(Andy Razaf)。
この曲に関しては、ファッツ・ウォーラーが17歳のときに結婚した妻と子供に対して、離婚後に養育費を払わなかったため収容された刑務所で作った曲なので「オレは浮気はしなかった(I was not misbehavin’)」と本人が語ったという話や、いやいやファッツ・ウォーラーの自宅で作ったよ、などの矛盾した逸話が残っています。
でもサービス精神旺盛なジャズミュージシャンは多くて、話を盛ったり、場を盛り上げるために冗談交じりのホラを吹いたりする人も多いので、そういったたぐいの話かも(笑)
スクイーズ・ミー(Squeeze Me)
「スクイーズ・ミー(Squeeze Me)」は、ファッツ・ウォーラーが1925年に作った曲で、「ザ・ボーイ・イン・ザ・ボート(The Boy in the Boat)」という古いブルースの歌に基づいていると言われています。
こちらが「ザ・ボーイ・イン・ザ・ボート(The Boy in the Boat)」です。
似てるかな?
ザ・ジッターラグ・ワルツ(The Jitterbug Waltz)
ファッツ・ウォーラーが38歳のときに作ったワルツ。
このころのファッツ・ウォーラーは、ジャズメンとして油の乗り切った時期で、演奏活動のほかにもラジオや映画出演など、多方面で活躍していたようです。
ハモンドオルガンで録音された、最初のジャズの1つとされています。
ちなみにチック・コリアもこの曲を演奏していて、演奏者が変わるとこれだけ変わる、の見本のような演奏となっています。
捧ぐるは愛のみ(I Can’t Give You Anything But Love)
この曲はジミー・マクヒュー(Jimmy” McHugh)作曲となっていますが
「自分が作った曲だが、懐がさみしかったときに売った曲」
とファッツ・ウォーラーが息子に語ったとも言われていて、1926年にファッツ・ウォーラーがジミー・マクヒューにメロディーを売った可能性が指摘されています。
明るい表通りで(On The Sunny Side of the Street)
この曲もジミー・マクヒュー(Jimmy” McHugh)となっていますが、ファッツ・ウォーラーが作った曲で、メロディーを売り渡したのではないかと言われている曲。
↓ファッツ・ウォーラーのバージョンではありませんが。
「捧ぐるは愛のみ(I Can’t Give You Anything But Love)」と「明るい表通りで(On The Sunny Side of the Street)」は、ファッツ・ウォーラーが作曲した曲と言われていますが、本当にファッツ・ウォーラーの作曲かどうかはまだ確実ではないようです。
ただファッツ・ウォーラーがお金に困っていたころに、他人に売った自作の曲は、少なくないようです。
個人的には、陽気で明るい曲調は、いかにもファッツ・ウォーラーが作りそうな曲だなあと思ったりします。
どの曲もスタンダード曲として、よく聴く曲です。
ファッツー・ウォーラーは39歳という若さで、肺炎で亡くなっているので、もう少し長く生きていたら、もっと多くの楽しい曲を残したんだろうなあと、ちょっと残念。
ファッツ・ウォーラーの名盤については、こちらに書きました。