ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins 1930年~)の経歴、後編(コードレス・トリオ結成~晩年まで)です。
有名な3年間の隠遁生活中、橋のたもとで練習していたエピソードにもふれます。
ソニー・ロリンズの経歴、前編(幼少時~ちょっとだけ活動休止してシカゴにひっこんだ後、復帰するまで)は、こちらに書きました。
ソニー・ロリンズの生涯(後編)
ソニー・ロリンズはコードレス・トリオの先駆け
1957年、ニューヨークを拠点にしていたソニー・ロリンズはマックス・ローチ(Max Roach)とのツアーで訪れたロサンゼルスで、レコーディングをおこないました。
メンバーはベースのレイ・ブラウン(Ray Brown)、ドラムのシェリー・マン(Shelly Manne)、そしてソニー・ロリンズ。
サックスとベース、ドラムという、ピアノやギターなどのコード(和音)を弾く楽器はなしという珍しい編成でのトリオです。
これ以降、他のジャズメンもコードレスのバンドで演奏するようになりました。
1957年に、ソニー・ロリンズと一緒にプレイした、フリージャズのオーネット・コールマン(Ornette Coleman)もその後、自己のバンドでピアノを使うのをやめました。
コードのハーモニーがなく単音楽器だけだと音の層が薄くなるはずなのに、音の層が厚く感じられるのは、ソニー・ロリンズのテナーサックスの力量がすごいから。
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3年間の隠遁生活
1959年、順調な音楽活動の中、ソニー・ロリンズは自分の音楽に満足できなくなり、突如音楽活動を停止し、1961年までの3年間、公の場での演奏をいっさいやめます。
最初は近所の公園で練習していましたが苦情が出たため、ウィリアムズバーグ・ブリッジ(Williamsburg Bridge)の歩行者通路に場所を移し、そこで毎日サックスの練習をしました。
そんな中1961年の夏、ジャーナリストのラルフ・バートン(Ralph Barton)が偶然、橋で練習中のソニー・ロリンズを見かけ、そのことを記事を書き、ソニー・ロリンズが橋のたもとで練習していると皆が知ることとなりました。
1961年11月、ソニー・ロリンズは実世界に戻らなければいけないと気付き、この隠遁生活を終了しました。
当時、ソニー・ロリンズが住んでいたマンハッタンのローワー・イーストの敷地に、「ロリンズ(Rollins)」という名の15階建てのアパートが立っているそうです。
また、この隠遁生活中にヨガを習得し、それは現在でも続けているとインタビューで答えています。(2005年当時)
復帰後また2年間の活動休止
ジャズシーンに復帰し、1962年にリリースしたアルバム「ブリッジ(Bridge)」のセールスも絶好調で、記録的な大ヒットとなります。
音楽的にも、新しいジャズの探索を続け、1963年には来日公演も実施。
1966年公開映画「アルフィー(Alfie)」のサウンドトラックを手掛けます。
そして1969年から、ソニーロリンズはまた2年間、活動を休止します。
この2年間の間に、ソニー・ロリンズはジャマイカを尋ねたり、インドに行って数か月間もの間ヨガや瞑想、東洋哲学などを学びました。
こういう努力が、長生きと晩年まで精力的に活動できた要因かと思います。
1971年復帰後は、ジャンルを超える
1971年、ソニー・ロリンズはまたジャズシーンに戻ってきました。
1970年代から1980年代にかけて、ソニー・ロリンズはR&B、ポップス、ファンクなど、音楽のジャンルを超えて、さまざまな音楽を取り入れるようになります。
それにともない、エレトリックギター、エレトリックベースなどもバンドに用いました。
1973年~1976年には、日本人のギタリストの増尾好秋(ますお よしあき)が、ソニー・ロリンズのバンドに参加していました。
1981年には、ロックバンドのローリング・ストーンズのアルバム「入れ墨の男(Tattoo You)」に参加。
ソニー・ロリンズの現在
1971年の復帰後も、精力的に音楽活動を展開。
また環境保全運動を支持して「地球温暖化(environmentalism)」というタイトルのアルバムもリリース。
2001年、71歳のときグラミー賞を受賞した矢先に、9.11が起こり住居からわずか数ブロックの距離にあるワールド・トレード・センターが崩壊。
ソニー・ロリンズはサックスだけを持ち出して避難し、わずか5日後にはボストンのバークリー音楽院でコンサートを行いました。
2004年にはグラミー生涯功労賞(Grammy Award for lifetime achievement)を受賞。
ヨーロッパ、南アメリカ、アジア、オーストラリアなど、世界各地をツアーで回りました。
2012年以降は、呼吸器の疾患のため、演奏活動は行われていません。
2017年には、ソニー・ロリンズは個人で所有した個人的なアーカイブ(記録、録音など)をニューヨーク公立図書館( New York Public Library)の支部であるショームバーグ黒人文化研究センター( Schomburg Center for Research in Black Culture)に寄付しました。
またソニー・ロリンズはオーバーリン大学( Oberlin College)にソニー・ロリンズ・ジャズ・アンサンブル基金(Sonny Rollins Jazz Ensemble Fund)を寄付しました。
破滅的な生活を送ったジャズメンが多い中、いち早くヨガや東洋哲学など精神的な支えを見つけ、健康的な生活を送ったソニー・ロリンズ。
伝説とともに長生きした彼のおかげで、私たちはたくさんの彼の作品を聞くことができます。
また、常に前進し続ける彼の姿勢には勇気づけられますし、音楽はいつ聴いても色あせません。
ソニー・ロリンズの生涯についてはこちら。
前編(幼少時~ちょっとだけ活動休止してシカゴにひっこんだ後、復帰するまで)は、こちらに書きました。
ソニー・ロリンズの名曲&有名曲のご紹介はこちら。
ソニー・ロリンズの名盤のご紹介はこちら
(前編)
(後編)
ソニー・ロリンズがサイドマンで参加したアルバム のご紹介はこちら。
(前編)
(後編)